続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)<34>
検 診
22年5月某日、予防医学センターの京丹後支所長なる方がお見えになり、6月2、4日の両日の住民検診を依頼された。検診車、住民検診なる言葉は知っていた。近所に長らく保健所に勤めておられた看護師さんが、退職後も時々検診車に乗っていると話していらっしゃったからである。また地区医師会の古い仲間からも同じ話を聞いていた。医院を休診してから2年たっていた。支所長氏がお見えになったのは、その医師会の方からの紹介だった。警察医、校医の日程がつまっていたが、たまたま2、4日はあいていたのである。検診車乗りは医師不足の当地方では老医師の仕事だということもわかっていた。ああ、やはりお鉢が廻ってきたな。隣の医師会の知人もやっていらっしゃるとお聞きしていたが。
6月2日、午前7時50分頃、大型車で迎えにみえた。近くの宿泊所を廻り2人の医師を乗せ、A町Hの地区公民館に着いた。検診の仕事は話に聞いていたとおり、比較的簡単だった。過疎の鄙びた漁業の集落で女性老人が多く、皆が丁寧で礼儀正しかった。100人位受診者があったが、2人の女性がぼくを見て笑い、「まあ、谷口さん」と声をかけてくれた。こちらは覚えていなかったが、やはり嬉しかった。正午まで受診者が続き、昼食は500円の弁当だった。これは不味かった。昼休みは長く1時間半あった。小高い丘からだらだら坂を降り、海の近くまで行った。黒い海、近くは小さな公園の形になっていた。
午後4時を廻り仕事が終わり、また医師3人が同乗して帰宅した。4時半を少し過ぎていた。
6月4日、当日の会場はA町の中心部で保健センター、図書館と同居していた。仕事は同じだったが、人数は倍増していた。大宮町口大野の拙宅の近くで古い姻戚関係にある老女から声をかけられた。受診者は300人に近かった。皆礼儀正しく不快な思いはなかった。だが採血を終えてぼくの前に座った三十代の男性が、蒼白な顔面でぼくの膝の上に倒れこんだ。看護師があわてて簡易ベットを拡げ、その上に仰臥させた。血圧を測定していたが、1時間位で退席した。
長い昼休みの時、隣席の医師と話をすることができた。何と同じ大学医学部でぼくより2年後輩だった。宇治市にお住まいとのことだった。古い学生時代の、お互いに知っていた教授の噂話に花を咲かせた。久し振りのことで嬉しかった。氏は本日帰宅するとおっしゃり、午後4時40分過ぎの列車でA駅よりおたちになった。
帰路、本日は少し遅れ午後5時前になった。2日とも晴天でいい日和だった。