続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)<29>
父と倉田百三の著述
父の秘話を幼い記憶を辿りながら、あからさまに書いた。かえりみると慙愧の思いも厚い。なつかしい父の一面も書き残しておきたい。冥福を祈りながら、松高時代の追想を少し加える。松高の教授にYなる、やや小柄だが身嗜みの整った中年の方があった。今から考えると心理学の授業だったと思う。東大の文学部卒で週に一回の授業があった。同級生の畠山が授業のあい間に質問をした。倉田百三の「出家とその弟子」「愛と認識との出発」の二冊について教授の認識はいかがかと。教授は笑って言った。古い、古い、もう数十年も前の当時のベストセラーじゃあないか、去々。そんな黴の生えたようなものは止めて、もっと現代的なブックを読み給え、と一蹴して本の名と著者名も知らなかった、今も覚えていないナチスの新しいドイツ哲学の誌名を挙げた。ぼくたちは呆然として言葉を失った。
戦争の影響でぼんやりした陰りはあったが、とにかくぼくたちの時代でいまだ倉田の二冊は読まねばならぬバイブルだった。
思い起こして平成22年4月、書庫を探して二冊を発見、一週間ばかりかけて一読した。「愛と認識との出発」誌の終わりに近く、「出家とその弟子の上演に就いて」の一章があった。彼の26歳の時の作品で、その末尾に(1919・11・18 於一燈園)と記してあった。一燈園とは西田天香主宰である。「愛と認識との出発」は大正10年3月23日に岩波書店より発刊、定價は2円、父の買ったのは大正10年10月10日88版だった。昭和2年3月7日が丹後大地震、我が家は全壊した。雪と泥のなか、父は愛惜の念の強い書籍を拾い出して整理をした。そのなか、この書物が入っていた。カバーがついていたが、それも厚紙を使って補修がしてある。一方「出家とその弟子」は岩波文庫版、昭和3年7月1日が初版で、父の買ったのは昭和16年8月30日で33版、定價は40銭とある。ぼくはその時、宮津中学4年生、受験勉強の最中である。表紙に父の名前のゴム印が押してあり、ページの最初にぼくの見慣れた小紙片が貼ってあった。
この本何方様へまゐり候とも當方までお戻し下され度候 谷口氏
おそらくぼくは松高入学、入寮とほとんど同時にこの倉田の二冊を読んだ。いや、目を通しただろうと思う。いやいや、入学時すでにぼくは持参していたかもしれない。ぼくたちの時代、否、数年前までは倉田の本は高校生のバイブルだったと言っていいだろう。畠山がY教授に質問したとき、教授はもう新しい時代が始まっていたと言いたかったのだろう。とにかくぼくは読了した。17歳の時だった。どの程度わかっていたか不明である。「出家とその弟子」のテーマは法然の後を継いだ親鸞とその家族と弟子たちとの葛藤と随身の物語である。クライマックスは親鸞が死亡するとき、今まで反抗をしていた長子善鸞との対面だろう。副次的には弟子唯圓とその娼婦あがりの妻かえでとの看病姿の数々になろう。だが実質的には大東亜共栄圏の先駆けの時代であった。当時はまだ、神国日本の景気のよかった輝きの時だったのである。