【特集I】韓国医療視察を終えて
垣田(司会) 協会は韓国医療視察を5月3日から6日にかけて行いました。韓国の公的医療保険が日本の制度と非常に似ていることや、韓国がアメリカとFTA(自由貿易協定)を締結し、3月15日から発効していることから、日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加した場合の医療分野への影響を探るべく実施したものです。
旅行中の楽しい話も含めて、感想などを出し合っていただきたいと思います。
FTAの影響視察を目的に
関 浩理事長
関 前月には北朝鮮が韓国政府、大手メディア等に対して「特別行動」を起こすと言明するなど、北朝鮮と韓国との関係が緊迫していた時期です。
仁川空港到着後、すぐにグリーン病院、翌日にはIFEZ(仁川経済自由区域)、そしてイナ大学付属病院見学、及び国際医療センター長との懇談、3日目は九里グリーン病院で公害病の医療に携わってこられたパク先生からお話をお聞きしました。韓国の延世大学教授の武貞先生からの韓国と北朝鮮との関係についてのレクチャーや、早くから米国とのFTAに警鐘を鳴らしてきた韓国の健康権実現のための保健医療団体連合のウ・ソッギュン氏との会談など、単なる訪問だけではない突っ込んだ話し合いを現地の責任ある方々とできたことは、意義深いものだったと思います。
視察の主な目的は、韓国の医療情勢、とくに韓米FTAのもとでの医療分野の状況を調査することでした。私の感触として、TPPは単に物、関税の自由化の話だけではなく、その国の政策を、我々の関心からいえば医療政策を根本から変えてしまう可能性がある、危険な協定であるということを痛感しました。仮にTPPが成立すると、日本は韓国以上の悪影響をこうむる可能性があることを、韓国の先生方との話し合いの中で実感したところです。
今後の課題としては、これらのことを会員の方々へどう正確にお知らせしていくかということだと思います。
垣田 韓国には1976年まで公的医療がありませんでした。1977年に医療保険制度、医療保護制度がはじまり、その後わずか12年で皆保険制度を成立させています。そして1999年、それまで韓国も日本と同じように保険組合が乱立していたところを、一挙に国民健康保険管理公団という組織に一元統合しています。また、IT化や介護保険導入も一挙に進められています。
日本の厚労省と韓国の保健省とは人的交流を含め非常に密接で、お互いの国で新しい制度を試し、自分の国の参考にしていくといった関係にあるといわれています。
医療と密接にかかわるTPP
河本一成氏(宇治久世)
河本 実は私は海外に出るのは今回が初めてでした。ソウルまでは飛行機で1時間45分と短く、天気もよかったので、旅行としてはとても快適でした。旅程を見るとゆったりしたものかと思っていましたが、実際にはとてもハードで内容は濃かったです。
印象的だったのは、FTAは社会制度そのものに関わる問題でもあると痛感したことです。つまり政府が自分の国の政策を決めることができなくなるということです。FTA、TPPは、ここが一番の問題だと思います。
ツアー中に私は、同室の野々村光生先生(京都桂病院副院長)と議論し、ある程度理解したつもりで、ウ先生のお話をお聞きしたのですが、それでも衝撃的なことが多く、TPPの問題点がよくわかりました。
例えばTPPと医療は関係がないという理解が一般的だと思いますが、現実には国の社会保障政策の決定に国外投資家が介入してくるという可能性があるわけで、こういったことをどう周囲に伝えていくのかというのが今後の課題です。
ただし、韓国はもともと混合診療が行われており、そのためでしょうか。グリーン病院の先生方がFTAに対してはあまり危機感を持っておられない様子だったのは意外なことでした。
IFEZの広さと危うさ
吉中丈志氏(中京西部)
吉中 私が最初に韓国に行ったのは1992年です。宇治にあるユニチカのレーヨン工場で発生する二硫化炭素によって、多くの労働者に中毒症が出るという事件がありました。私も職業病として認定するよう求める労働者側の支援を行っていました。いろいろ情報を集めると、韓国でも同様の被害が出ているということがわかりました。それで調査のため患者さんたちと一緒に韓国に行くようになったのです。
大津の東洋レーヨン(現東レ)のプラントが1960年代に韓国に輸出され、これが二硫化炭素中毒を引き起こす原因となっていました。約1000人もの中毒者が出たそうです。韓国では、被害者を救済する運動と民主化闘争が重なっていました。当時ソウル大学の医学生も参加しており、グリーン病院のヤン院長もその一人です。
今回の視察では、医療の面でも古くから民主化運動を担ってきた人たちと、それ以後の人たちとの世代交代が進んできていることも感じました。
また印象的だったのは、IFEZ(仁川経済自由区域)の広さと危うさです。もっとすごい病院を想像していたのですが、実際には意外と普通の病院ではないかと感じました。設備は日本の東大病院、京大病院のほうが充実しているように思います。海外から患者を呼び込むといっていますが、先端治療を目的にアメリカから患者が大勢やってくることはないのではないでしょうか。逆に標準治療を安く受けられるということで来る患者さんはいるかもしれません。
相互に影響しあう日韓の制度
松本隆浩氏(日本医療労働組合連合会中央副執行委員長)
松本 日本医労連としてはここ十数年、韓国の組合とも連携してきました。韓国には医療分野の産別組合があり、とくに看護師の労働条件の問題では、ずいぶん意見交換をしています。例えば、日本では二交替勤務が広がってきていますが、韓国にはまだなく、三交替です。それが、韓国でも日本の悪い例を見習って、二交替にしようという動きが起こっています。また、医師・看護師不足の問題も共通しています。
感想を言うと、とにかく先生方はよくしゃべり、よく食べるのでびっくりしました(笑)。私も体力には自信のあるほうでしたが、へとへとになりました。行く前には、日本と韓国とでは歴史的背景はもちろん、医療制度も違うし、ずいぶん違いがあるのだろうと思っていましたが、実際見てみて、逆に同じような点がたくさんあることに気づかされました。歴史的な関係はありますが、協力できる仲間になりたいという思いを強くしました。
先ほども指摘がありましたが、1日目に訪問した病院ではFTAに対する韓国の先生たちの反応が鈍かったので、最初はこちらの受け止めとは落差があるのかと思いました。ところがその日の夕食時に、院長や事務局長にFTAについて意見を求めると、「韓国の人たちは反対と思っても、口には出さないんですよ」と言うんです。それでまた少し考え込んでしまいました。
そして、3日目のウ先生の話は、目からうろこが落ちる思いで聞いていました。まだFTAの本質が明らかになっていないこと、そしてFTAとはその国の憲法を乗り越える条約であること、国の根幹そのものを支配されかねないものであることをさまざまなデータをもとにお話になっていました。感銘を受けました。この講義を聞いただけでも、参加した価値があったと思っています。
同じ課題を抱える韓国医療従事者の労働条件
宇田憲司理事
宇田 今回私は初めて韓国を旅行することになったのですが、ソウルが意外に北朝鮮との国境に近いことを知り、驚きました。日本にいると海で囲まれているため、世界と関わりを持たなくても国内で完結してやっていけるかのように思ってしまいますが、韓国では国境の近さを感じました。ツアーは3日目の夜まで勉強ばかりで、貴重な休みを使って行って、こんな充実したツアーはないと喜んでいました。
私は経済や政治については疎く、FTA、TPPといわれてもあまり関心がありません。おそらく一般の会員さんもそうだろうと思います。私の協会での担当分野は、医療安全、医事紛争・医療事故解決の支援ですので、そういった点を聞いてみようと思っていましたが、結局あまり状況を聞くことはできませんでした。
九里グリーン病院のパク理事長のお話を聞いていても、どうもいい面ばかりを言っているような気がして、実際のところを確認すべく、看護師らの労働条件について質問してみたのです。すると医師の方はそれなりの条件だということでしたが、看護師の方は給料が低いとまでは言いませんでしたが、何となく奥歯に物が挟まったような口ぶりなんです。その話を進めるとパク理事長が怒り出し、「それは愚問だ」と叱られてしまいました(笑)。医師・看護師集めには苦労しているということがわかり、日本同様韓国でも大変なんだなと思いました。
垣田 パク理事長が「愚問だ」と言ったときは私もびっくりしました。渡航前、パク理事長の体調がおもわしくないと聞いておりましたので、声を張り上げた先生を見て少し安心しました(笑)。しかしその翌日、声を荒げたことを自ら謝られましたね。さすがパク理事長だと思いました。
宇田 「愚問だ」と言われるのはいいのです。「問答無用」とか「論外だ」と言って議論をしないということではなく、パク理事長はちゃんと質問に答えて下さいましたし、僕は気にしていなかったのですがね(笑)。
看護師が抱える問題も日韓共通
天野敬子氏(診療所看護師)
天野 韓国の看護師の状況は、私もぜひ知りたいと思っていたことでしたので、勉強になりました。
帰国後、私なりにあらためて調べてみました。「韓国における地域で働く看護師の現状と教育体制について」という論文を金沢大学の看護学の研究者が発表されています。これによると、日本と韓国は経済状況などさまざまな違いはあるものの、類似点も多いことがわかります。日本の厚労省が韓国で行われていることを検証し、政策に取り入れようとしている現状は、確かにあると思います。日本の看護師の教育制度はいまだに大学に一本化されていませんが、韓国ではすでに一本化されています。その弊害も生まれつつあるということで、日本の准看のようなものをつくろうとしているそうです。知識のみで実践が伴わない看護師がいるということなんだろうと思います。
そして、慢性期の問題について、在院日数の短縮化は必ずしも悪いことではないと思いますが、韓国の医師の話を聞いていると、受け皿が整備されていないそうです。国民皆保険にしても、カバーされていない面が多い。日本がこれから目指そうとしているものとすごく似ているのではと思いました。
ところで、衝撃を受けたのが、病院で亡くなった患者さんの葬儀を病院内で行うということですね。
一同 あれはびっくりしました。
天野 以前はそうではなかったというんですね。日本では最期は畳の上で死にたい、自宅で死にたいというのと同様に、韓国でもオンドルの上で死にたいという声があると思います。ところがそれがかなわないという現実がある。これも日本と同じですね。
私自身は、TPPなどの制度についてよりも、看護師としてこれによって医療現場がどのように変えられようとしているか見ることができたと思っています。皆保険制度が崩れると誰がいちばん喜ぶのかというと、私はアメリカの保険会社なのだろうといったことを感じています。
在宅で医療が受けられない韓国
垣田さち子副理事長
垣田 今回初めて知ったのですが、韓国では2年間の兵役の代わりに、医師が3年間の地方勤務をする制度があるそうです。そしてこの地方勤務中、若い医師たちはいろんな問題点に気付き、人道主義実践医師協議会(人医協)の運動に加わるようになるそうです。ある意味、この制度が医師を育てているのではないでしょうか。
韓国では、ほとんどの患者さんが病院で亡くなっているそうです。私はこれまで韓国を訪問した際、在宅患者の状況はどうかなど質問したことがあるのですが、向こうの先生方にはピンとこない質問だったようです。
今の韓国では、医療は病院あるいは診療所の中でしか提供されていません。10年以上前、日本で在宅医療が認められたことの意味は大きかったことがわかります。日本では今、在宅が強調され、2025年の日本の姿として、在宅と急性期病院に特化されようとしていますが、韓国は今後どういう選択をするのか注目したいと思います。
吉中 長期療養型の施設があり、日本の社会的入院に当たる患者さんたちはそこに入れるようです。医師は病院の外で医療行為をすることは禁じられているそうで、在宅では看護師が対応しているようです。私が以前訪問した施設では、入所者が肺炎を起こした場合、家族の了解を得ないと医療機関に受診させることはできないと言っていました。訪問看護は人道的サービスでやっており、医療行為としての支払いは請求していないとのことです。
天野 在宅でケアは受けられても、医療は受けられない。これは悲惨な状況だと思います。お金のある人は別として、誰もが適切な医療を受けられるという状況ではないということです。
関 次回視察の機会があれば、この点をもっと詳しく調べてみる必要がありますね。
感染症の「輸入」
天野 話は変わりますが、韓国は結核の罹患率がとても高いという説明がありました。これだけ大勢の日本人が韓国を旅行していれば、それだけ結核に感染している人も多いのではないかと想像されます。
垣田 他国の患者をイナ大学で一手に受け入れていますが、そういう意味では危険なことですね。今から10年ほど前に旭川で同様の特区をもうけて他国の患者を受け入れるプロジェクトがありました。最終的にはこの計画を国は却下したのですが、保団連で議論したときは、人々が各国を行き交うことにより持ち込まれる感染症について危惧する意見が出ていました。韓国では年間2000人を受け入れているとのことですが、どういった問題が生じているのか、この点も気になるところです。
河本 医療ということでいえば、日本でも韓国でも、国民にとってのイメージは千差万別だと思います。自分にとっての医療、病気の家族への医療ということは考えられても、国民にとっての医療、医療制度という大きな問題についてはなかなか考えられないのではないでしょうか。
天野 国民全体の問題であるにもかかわらず、医療の問題点が広く知らされないことに対する医療者の役割は重大だと思います。専門家だからこそ知り得る事柄をいかに広げていくか、大きな責任があると思います。2000年に介護保険制度が始まるとき、少なくない研究者が賛成していました。今になっていろんな人が問題点を指摘するようになっていますが、TPP問題でも同じようなことにならないよう、勉強しなければいけないと思っています。
成長産業にはなり得ない医療ツーリズム
河本 医療には、ツーリズムや自由貿易という概念はもとからなじまないのではないかと思います。その国の文化の中で形成されている部分は、無視できないのではないでしょうか。
天野 イナ大学の視察をコーディネイト、案内して下さったキム先生とお話した際に、「医療は不確実性のもの。医師と患者の信頼関係を中心にして医療は成り立っているのでは」と言うと、まったくその通りだと言われました。
垣田 私もイナ大学の先生が、受け入れているロシア人の患者さんと気持ちが通じ合わず苦労しているといった話を聞きました。そうした点では日本人とよく似ていますね。日本人も韓国人も同じようなところで悩んでしまうようです。
関 投入するべき予算、人員の規模からいって、どうやら医療ツーリズムは確かな成長戦略にはなり得ないですね。
垣田 医師の思いといったことは、おそらく医療を産業として進めようとしている人たちには見えないのだと思います。物をやりとりするような感覚で医療を捉えられるとたまらないという気持ちになります。
吉中 FTA、TPPによって生じる可能性のある問題点、臓器売買による臓器移植、途上国で実施される治験や臨床研究などが代表的ですが、これらを倫理の面から規制する見解があってもよいように思いました。この点でも国際的な議論が必要に思います。
憲法を超える条項
垣田 あらためてTPP問題についてうかがいます。日本には憲法25条、13条などの人権条項があるから、それを根拠に投資家が国を訴えることができるというISD条項を、人権侵害として訴えることはできないかという質問をウ先生にしました。それに対する「できない」という回答に、ショックを受けました。実際、韓国でも人権侵害として訴えることができないでいるようです。裁判所が扱う範囲は国内問題に限られ、国際間の経済条項については何の効力も及ばないというお話でした。恐ろしい指摘でしたね。
関 韓国の例でもわかるように、条約が発効してから、それまで知らされていなかったいろんな問題が存在することがわかる。TPP、FTAといった自由貿易協定は単なる関税撤廃協定ではなく、その国の政策自体をねじ曲げてしまう可能性があるんだということを強調したいと思います。韓米FTAの問題点が出尽くしたところでTPP参加の是非を決めても遅くはない。
吉中 日本では混合診療を認めていません。一方、韓国は混合診療を前提とした制度ですから、公的医療保障制度が崩れるという危機感は弱くなるのだと思います。日本では混合診療禁止を死守しなければなりません。先端医療が、現在も選定療養という形で保険外の医療行為として認められていますが、それがどうなっていくか注視しないといけないと思います。
河本 医療を公的に保障している制度そのものが問題だと、アメリカの保険会社が主張してくる可能性はありますね。
関 「世界標準の医療が受けられない日本の国民皆保険制度」という宣伝がなされてくるでしょう。
松本 労働組合でもそうなのですが、TPPは問題だという認識がなかなか広がらない。それはなぜなのか。危険性をどうわかりやすく明らかにしていくのかが、今後の課題です。
垣田 いろんな分野の意見を出し合っていただきたいですね。今回の韓国訪問でより大きな課題が明らかになったと思います。本日はありがとうございました。