【改訂版】医療安全対策の常識と工夫61
「前医批判」は患者さんのため?
前回「前医批判」に肯定的な医師のお話をしました。実のところ、京都府保険医協会としては「前医批判」を絶対否定していません。しかしながら、我々が確認できた「前医批判」は、首を傾げてしまうものばかりなのも事実です。
無意識にあるいは意識的に「前医批判」をされた後医は、時に患者さんから前医に対する今後の対応を求められることがあります。具体的に言うと、訴訟の際には証人になってほしい、証拠としたいので文書で正式にどこが医療過誤か示してほしい、等々です。限られた経験ではありますが、協会はこのような患者さんの要望に応えた医師がいた、という話を聞いたことはありません。知り得る限り全て断っている様子が窺えます。医師としては当然、あるいは仕方のないことだろうとお考えの方もいるかも知れませんが、今一度、当該患者さんのことを考えていただきたいと思います。患者さんは後医の発言が発端で、前医に対してクレームを言っています。当然のように患者さんは後医を「味方」と捉えていることでしょう。患者さんは既に医療被害を被っている場合がほとんどで、当該医療機関と争うつもりの方も多いでしょう。そこで後医が患者さんへの協力を拒めば、当然ながら、患者さんは困惑してしまい、前医のみならず後医にさえ、裏切られたと感じてしまうこともあるでしょう。そうなれば個人的な「医師不信」から、もっと大きな「医療不信」となってしまうこともあり得ます。また、根拠の薄い「前医批判」を発端とした医療裁判で、患者さんが勝訴する確率は極めて小さいと思われます。敗訴した患者さんは、それこそ泣き面に蜂となります。我々としてもそれだけは避けなければなりません。
先に紹介した後医のような方々が、単に手術が下手などということだけでなく、医学的根拠に基づいて患者さんに「前医批判」をして、裁判等で患者さん側の証人になること自体は、見方によれば医療界の自浄作用を促すことにもなるかも知れませんので、強いて止める理由もないでしょう。しかしながら、前医に対する否定的な単なる「感想」を述べることは、結論として、患者さんの損害を更に大きくさせることになりかねないことを認識していただきたいものです。つまり「前医批判」を全面否定することに問題はありますが、肯定するための一つの条件は、客観的所見や判断を、証拠を以て他者に証明できる場合でしょう。できれば更に実際に証人となる用意があることも挙げられるでしょう。ただし、これは協会の経験に基づいた一つの意見に過ぎませんので、会員各位のご意見に今後も耳を傾けていく所存です。
次回は、従業員の内部告発についてお話しします。