続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)  PDF

続々漂萍の記 老いて後(補遺)/谷口 謙(北丹)

思春期と中郡選手権

 口大野小学校の6年生の時だったと思う。春か秋か気候のいい時だった。ぼくは突然、唱歌の時間に高い声が出ないので困った。合唱していても歌の調子が2段になり、うまくつなげないのである。試験があり、各人が1人ずつ独唱を命じられた。歌が途中で切れた。続けられなかった。Aという男の先生が受け持ちだったが、黙って笑っていた。ぼくの外にもう1人、同じく困った級友がいたが、名前は忘れた。

 それから間もなく、とんでもない所に発毛して恥ずかしく恥ずかしく、体操のときなど、ランニングとパンツ1枚になるので、パンツのゴムが切れたらどうしよう。また生徒の1人が冗談にパンツを引っぱり下したら、などと考えると気が気でなかった。父とはよく一緒に風呂に入ったから、父のそれは知っていた。父は子どものぼくに全然かまいなく自然体で通した。某日友人のD君が、「謙ちゃん、チンポに毛がはえとれへんか」と尋ねた。「そんなもんあれへん」とぼくはつっけんどうに答えた。「そうかよかったなあ。わしも生えとらへん」D君は安堵の表情を見せた。それがぼくの思春期の第一歩だったが、宮津中学に入り、1、2年生の中でも声の変わらない者がたしかにいたと思う。現在では、特に女生徒では3年生の3学期位から生理の始まっている者があるようだ。つくづく女性はご苦労なことだと思う。

 当時、中郡選手権と称する運動会が年に一度峰山小学校で行われた。たしかその頃は中郡に13の小学校があったと思う。陸上競技の優秀な選手、ぼくの記憶では5年生以上、高等科1、2年の範囲だったと追憶する。某日、口大野小学校のグラウンドで、女子5年生の生徒が2人、100メートルのコースで練習をしているのを見かけた。グラウンドは狭くて直線では80メートルしかなく、1、2年生はこのコースだったが、100メートルコースは曲がらねばならぬ。2人は一生懸命に走っていた。技量は伯仲していた。ほとんど甲乙なくゴールに走りこんだ。競馬の言葉で言えば頭一つの差でA女が勝った。ああ、彼女たちも一生懸命に練習をしているんだな。その途端に今まで経験したことのないA女に対する思いを持った。曰く言い難い。何か恋情めいた感情に捕らえられた。思春期の思いと重なり、80年に近い年月をへて、今思い起こされるのである。

 中郡選手権には友人のD君も100メートルに出場をした。第1回5年生の時は、1次、2次予選は通過したが、決勝レースでは6位だった。彼は口大野小学校では出色の100メートル・ランナーだった。そのD君がビリになる。子供心に世界の広さを痛感したのである。6年生のときは2位だったと思う。峰山小学校のTという選手が抜きんでてトップだった。当時峰山町は華々しい文化の地方の中心だった。これは宮津中学に入り、峰山小学校出身の同級生と話し合うまで続く。

 今、京丹後市になり、小学校統合が問題になっている。峰山小学校は廃校になるかもしれないという。あの堂々たる洋式の校舎、100メートルの直線コースがとれた広いグラウンド。ぼくたちの声を嗄らした応援と違い、楽器を使った整然たるリズム。地方文化の中心なればこそである。

 この大会で前記した口大野小学校5年生のAはトップでゴールに駆け込んだ。つまり女子100メートル中郡一と称されたのである。ぼくの思春期の第1番の思い出はこんな形で結ばれたのだ。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 若菜集「初恋」島崎藤村

 なかなかこんな具合には参らぬものである。

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