日本ローカル鉄道の旅 その11/北小路博央(北)  PDF

日本ローカル鉄道の旅 その11/北小路博央(北)

北海道JR全線完乗!! のおまけは
オホーツク街道ひたすら南下のドライブ

 何度もくり返すようだが日本全国のJR線、第3セクター完乗が私の夢である。乗り残している路線は115線中25線、年齢的にも体調的にもいささか急がねばなるまい。というわけで平成23年10月下旬、北海道の未乗3線を完乗すべく往復鉄道で行くという北海道旅行を強行した。

関連地図

出発

 このハードでマニアックな旅の仲間は私のほか3人、つれあいの鉄子さんと、がんがんの鉄ちゃんである甥っ子のS君に北海道往復鉄道の旅とはどんなものかと好奇心満々のA氏(70歳)が同行することになった。

 ツアコンをつとめるS君につながって京都駅から珍しく修学旅行の高校生で満席の寝台特急『日本海』に乗り込む。

 翌朝、終着駅青森からは「スーパー白鳥」「スーパー北斗」「スーパーかむい」と特急を8時間乗り継いで旭川まで一気に突っ走る。この辺りからA氏はいささかバテ気味の気配。

いよいよローカル線の旅

 出発3日目、旭川を早朝出発の1日1回の稚内行き鈍行に乗り込む。約6時間乗り放しの長丁場である。戦前のダイヤで北海道最長の鈍行は函館―根室間24時間34分であったことを思えば軽いもの、昼すぎに着いた稚内では冷たい小雨と強風が4人を待っていた。

オロロン街道、オホーツク街道を走る

 稚内からレンタカー(S君の運転)で天塩まで国道40号線を南下し、天塩川河口からオロロン街道232号線を北上、小雨で利尻富士の全容が見えなかったのは残念。日本最北の稚内温泉で旅の疲れをいやしたのはよいが、露天風呂の寒いのにびっくり。

 翌朝は宗谷岬から一路待望のオホーツク街道238号線を網走まで快調に走りぬける。その夜は親子4人でやっている居酒屋をみつけてタラバガニで北海道の味を堪能。(S君は初めての土地で美味しい料理を出す居酒屋をみつける天才である)。

最果ての駅、稚内

最果ての駅、稚内

未乗ローカル線その1

 網走から滝川までは特急「オホーツク」を利用、滝川駅からタクシー10分の新十津川駅(掘立て小屋のような無人駅)から〔札沼線〕84・2?に乗る。ここを走るディーゼルカーは一輌で1日3便、乗客は我々4人だけ、札沼線はもと札幌から留萌線の石狩沼田につながっていたが、国鉄合理化で新十津川でちょん切られてしまった。かえって赤字がふえたのでは、と思うが中間駅の北海道医療大学駅からは下校の学生たちが乗り込んで来て満席になる。思い切ってここを終着駅にした方がよかったのでは…。

新十津川駅/始発駅は無人駅

始発駅は無人駅

未乗ローカル線その2

 札幌から新夕張までは特急「スーパーとかち」を利用、新夕張から〔夕張支線〕16・1?に乗る。夕張はかつて北海道一を誇る炭鉱の町であったが、今はさびれて11万の人口が1万に減った由。夕張駅前には巨大ホテルが北海道の栄光と挫折のシンボルの如くそびえ立っている。ホテル直結のゲレンデがあるので1〜3月はスキー客でにぎわう由だが、今は人影もない。

夕張駅前の巨大ホテル、人影はない

夕張の巨大ホテルは人影なし

未乗ローカル線その3

 夕張から南千歳までは直行の鈍行があり、南千歳で乗り換える特急「すずらん」が東室蘭から〔室蘭支線〕7・6?を走って室蘭まで直行する。この7・6?の未乗線を乗りつくすために、はるばる北海道まで鉄道の旅をするのか、と呆れる人があってもよろしい。これが乗り鉄の真骨頂なのである。

 待ち時間の間に室蘭湾の美しい夕景をめでるサプライズもあり、名物駅弁「母恋めし」を買うこともできて、東室蘭から乗った「寝台特急北斗星」のサロンでは乗り合わせた埼玉からのお兄さんと意気投合、楽しい夕食になった。「北斗星」は「日本海」とくらべて雰囲気も上々で、北海道往復鉄道の旅もすてたものではないと、A氏の御機嫌もよかった。

名物駅弁「母恋めし」

名物駅弁「母恋めし」

 北海道JR線完乗を果たして、残るは東北4、関東10、甲信越6、九州2の22線、来年中には全国JR線完乗を果たしたいものである。

(上)最果ての駅・稚内、(下)始発駅は無人駅 (上)夕張の巨大ホテルは人影なし、(下)名物駅弁「母恋めし」

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