医界寸評  PDF

医界寸評

本年最後の本欄に最期の話も何ですが。先頃、厚労省の研究班が高齢者の人工栄養法についての導入の手順や考え方の指針案を公表した。導入せず自然な死を迎える選択肢、導入後に中止する選択肢もあり、広く意見を求めるようだ。

▼寸評子の乏しい経験の中だが、口から食べられなくなったら人間として生きていくのに必要なことができなくなったことと考え、最期を迎えるのは仕方ないと家族が割り切り、人工栄養法を選択せず、ご自宅でいわゆる老衰状態で亡くなった方のお孫さんが娘さんに「おじいさんは餓死したの?」と聞いたという。医療が発達し、いろいろできる時代になり、以前なら仕方ないですんだことが、家族が選択肢を説明され、生き死にの選択をせねばならない時代になった。そして、いろいろ迷って選択し、看取った後に「餓死したの?」では、辛いことだろう。

▼日本の医療が、人の死を家庭から病院に移してしまい、日常の中にあった人の死を非日常のこととして、看取った経験の断絶がおこり、「餓死したの?」になっているのではないだろうか。指針を作って自然な死といっても、看取りの経験の欠如が障壁にならないだろうか。

▼今年は特に多くの自然災害に見舞われ、人はいろいろな体験をした。看取りの経験の復活とともに、いろいろな経験を次世代に伝えていくことが来年以降も続きますように。来年が少しでもましな年でありますように。(門雀庵)

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