憲法を考えるために(35)  PDF

憲法を考えるために(35)

改めて憲法を巡る諸問題について(2)/2種類の憲法変更

 これまでに取り上げてきた憲法を巡る諸問題について、重複を恐れず改めて考えてみることにしましたが、2回目は憲法の変更についてです。

 憲法の変更―あえて改憲という言葉を使わなかったのですが、これを巡っては実に様々な問題があります。今回取り上げるのは、少し趣の違った基本的な、あるいは実際的な問題で、2種類の憲法の変更ということについて。

 憲法とは、という問いに答えるのは、もとより私の手に余ることですが、ここでは、国のありようを決める―国の政治的な秩序のありようを決める、国の基本となる構成原理と考えることにします。ちなみに日本国憲法では、立憲主義に基づく個の尊重、主権在民に基づく民主主義、そして平和主義がその中心ではないでしょうか。

 憲法を国の基本となる構成原理だとすると、憲法を変えるということは、その基本構成原理を変えるということになります。ですから、もし憲法の条文=憲法典を変更したとしても、実質的には基本構成原理が何ら変わらなかったら、憲法を変えたことにはならないし、逆に憲法典は変えなくても、憲法の解釈・運用が基本構成原理を変えるようなものであれば、実質的には憲法を変えたことになってしまいます。

 例えば最近、改憲議論で取り上げられる具体的な人権―プライバシーの権利や、環境権などは、憲法に条文を追加したとしても、実質的な法律が国会で制定され、裁判所の判例で具体化されない限りなんの現実的な意味も持ちません。そしてこれらはすでに現行憲法の解釈に基づき、実際的には認められていて、裁判所においても具体的な判例がすでに数多く存在します。ここでむしろ注意すべきは、誰しもが良さそうに思えるが、実質的には意味の少ない条文と「抱き合わせ」で「妙な」条文変更や条文追加が行われてしまうことかもしれません。

 一方、九条を巡る解釈では、国の基本構成原理の変更に当たるのではないかという疑いが拭いきれない事態が起こっています。いわゆる憲法典の変更をともなわない改憲―解釈改憲です。

 これらの事を考えるなら、我々に求められているのは、先ほど少し述べた憲法の理念を理解し、それに基づいて「生きている」憲法を絶えず見つめ、法律、判例、そして行政が憲法の持つ理念を阻害しないように、そして理念がより実質的になるよう努力することであり、そしてまた憲法典改正としての改憲の本当のねらいは何かについての洞察ではないでしょうか。それに関連して、集団的自衛権についても改めて考えてみたいと思っています。

(政策部会理事・飯田哲夫)

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