「溝部訴訟」の判決文を読んで  PDF

「溝部訴訟」の判決文を読んで

医療安全対策部会 理事 宇田憲司

はじめに

 保険医療機関指定及び保険医登録の平成17年11月25日付け取消処分に対する取消しを求めた行政訴訟、いわゆる「溝部訴訟」の原告・被控訴人医師側勝訴判決があった(甲府地判平22・3・31、東京高判平23・5・31)。まず、医師溝部達子氏が訴訟代理人弁護士石川善一氏の弁護活動を通じて上記の訴訟経過において自己の主張を貫かれたことに対して敬意を表します。

対象及び方法

 当会会員への本件報告としては、既に本紙7月20日2791号1面の解説および8月5日2793号2面の高久隆範氏の特別寄稿による主張の掲載があり、ほぼ十分と考えられる。しかし、会員には更に、客観的に判決文を読んだ上で把握し得る内容があれば、遺漏なく報知すべきとの観点から、筆者には判決文等が3通提供された。訴訟では原告・被告間あるいは控訴人・被控訴人間などで争点に関わる主張は当然に相違する。従って、本件においても提出された証拠に基づき裁判所(官)が認定した事実経過および判断理由の引用ないしまとめを以って記載する。

判決の要旨

 経過は、インフルエンザの診断名が多過ぎるとの社会保険診療報酬請求審査委員会・市医師会副会長・政府管掌保険保険者からの情報提供があり、健康保険法に基づく個別指導が計3回(県医師会会長・同副会長・同理事・市医師会副会長計5人が立会い)実施され、その間、診療録のコピー、レセプトとの突合・確認、開設者・保険医への質問があり、不正・不当な請求の疑いが発見され、131人の患者に付き実態調査もなされた。引き続き監査が実施された。小児に適応がない抗インフルエンザ用吸入薬(ザナミビル:後日に適応症化)やアトピー性皮膚炎用軟膏(タクロリムス)を小児に投与して親に代替請求やインフルエンザ感染症の非罹患児の予防療法に初診料・処方せん料の請求、インフルエンザ感染症やアトピー性皮膚炎で連月初診料を請求、診療録に記載なく電話再診や乳幼児育児栄養指導加算など要件を満たさぬ請求、小児への対面診察欠如などと詳細に根拠付け、算定要件を満たさぬ請求(不正:当初157枚37万820円、後日聴聞・再調査により148枚34万5176円に訂正、不当:54枚7万5669円)があったとされたもので、保険医も患者個別調書に「認める」と署名し、厚労省保険局長への内儀と地方社会保険医療協議会の答申を経て上記指定・登録が取消された。地裁・高裁ともに訴訟では、上記の多くの項目について、保険診療上の不正・不当に当たり、しかも、重大な過失があり、しばしばなされたと認められた。

 しかし、比例原則違反であるとの主張については、取消処分の実体的要件を満たしているが、要件さえ満たしていれば、行政庁がいかなる場合においても取消処分を行うことが許されるかが問題となった。裁判所には「…国が、保険医療機関や保険医に診療を委任していることからすると、その診療について高水準を維持し、国民の健康を保持する目的等を達するため、それらに至らないため、保険医療機関または保険医についてその指定を取り消すか否かについては大きな裁量があると考える。しかしながら他方、現在、大多数の医療機関が保険医療機関の指定を受け、大多数の医師が保険医の指定を受けていることや、これらの指定を取り消されることによる医療機関・医師の不利益を考えると、その裁量にも限度があるというべきであって、処分理由となった行為の態様、利得の有無とその金額、頻度、動機、他に取りうる措置がなかったかどうかなどを勘案して、違反行為の内容に比してその処分が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があったものとして違法となると解するのが相当である」との基準が示された。

 そこで、(ア)処分理由となった行為の態様としては保険診療上で多くが相当でないと認められたが、(イ)利得の有無及び金額は、41万円余で、他の事例と比し高額とは認められない。(ウ)頻度:ごく一部であると認められる。(エ)動機:自己の経済的利益のためでなく、患者やその家族の要請で、患者の利益になると考え実施した。(オ)代替え処置の可能性について:全く治療をしていないものに対して治療を施したことにするなどといった形態のものではなく、悪質性の高いものはさほどなかった。個別指導や監査は全国で多数に上るが指定の取消に至るケースはさほど多くなく、原告より悪質性が高いと思われるケースにおいても、個別指導の結果、監査に移行せず、経過観察ないし再指導に止まる場合もあり、三者(厚労省・日医・日歯)申し合わせでは、「指導の際に発見された不当事項については、ただちに監査の対象とすることなく、指導によって改善を求め、…なお改善されないものについて監査を行うものとする」とされ、監査を経た場合でも取消処分以外の処分の方法があり、他に取りえる処置があったと認められる。(カ)その他:保険医の登録の取消しの場合は、保険医療機関に勤めることもできず、我が国の保険医療制度の実情から、医師としての活動を封じるに等しく、保険医療機関の指定の取消後と同様、原則5年間は再登録・再指定は認められぬ運用で、極めて重い処分といえる。…原告及び本件診療所に対する本件各取消処分は、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであり、裁量権を逸脱したものとして違法となり、取消を免れない、と判断された。

 なお、本件各取消処分にかかわる行政側の手続きが適法か否かについては、いずれについても適法とされている。

解説及び考察

 個別指導・監査に際しての、今後の方策としては、立会いには、県医師会会長・同副会長・同理事・市医師会副会長などのみではなく、保険医には法律上も矛盾のない答弁や実体的な真実を追求して齟齬のない意思行為をできるよう、将来の訴訟代理人たり得る弁護士の帯同を考慮すべきであろう。また、指定・登録の取消処分後もできるだけ早期に医師として国民医療に貢献したいのであれば、上記処分の取消を求める行政訴訟の提起後、執行停止の決定を求める抗告(行政事件訴訟法25条2項)を申立てるべきである。本件では医師が抗告を申立て、取消処分の効力の一時執行停止が認められていた(甲府地決平18・2・2)。他に平成16年10月27日付け指定・登録の取消処分の取消を求める行政訴訟の神戸地判平20・4・22の判決文および大阪高判平21・9・9の判決文が提供されたが、執行停止の決定を求めたか否か不詳で、この間この事例には処分の効力が持続していた。

 これまで「安全で良質なhigh qualityの医療に、いつでも・どこでも・誰でも容易に accessでき、できれば安価にcheep costで得たい」という相互に矛盾する国民の要求を、医療機関・医療従事者も誠実に受け容れ実施しようと努力し、社会も行政施策として、医療機関・医療従事者に強制してきた矛盾が「医療崩壊」を引き起こし始めたのであろう。

 健康保険法は戦前に制定され取締り法規的色彩が強く、低医療費政策の推進とも相まって、個別指導・監査などは、それらを担当する行政官に、健康保険法の規定、保険医療機関及び保険医療養担当規則(療担規則)、指導大綱・監査要綱および関連規定などに従い忠実に実施されることになろう。しかし、保険医として法や法令を遵守するのは当然としても、その厳守が困難となるほどのものであれば、行政的な先行規範が厳しすぎる可能性もあり、行政政策学的のみならず行政法学的検討をも要するものとなろう。従って、本判決文は、対審および判決が公開の法廷でなされたのみならず(憲法第82条)、判例雑誌などに投稿・掲載されるなど広く学際的領域で情報の入手が可能となる開示・伝達が必要と考える。

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