皆保険50周年で講演会
池上直己慶大教授が歴史と意義を語る
講師の池上直己氏
医療保険史を4期で解説
第1期(1922〜45年)は国家主義の観点から二つの公的保険制度が推進された。一つは被用者保険で、社会主義運動の阻止と国力増強のための労働者の生産性確保が狙い。健康保険法施行の際は雇用主、被用者、医師がそれぞれの立場で反対したが、指導者の政治的決意で乗り越えた。もう一つの国保は、各地域に自然発生した互助組織に由来。保険料の賦課は所得捕捉が困難であったため、各地域の「公平感」によって決めた独自方法であり、様々な応能、応益負担の組み合わせがなされ、現在も踏襲されている。
第2期(45〜61年)は「福祉国家」の建設期で国民皆保険の推進期である。いわゆる55年体制の社会党、自由民主党とも皆保険を公約にし、国保に対する補助金が増加。61年に最後の自治体が国保を施行し、皆保険が実現した。皆保険達成はビッグバンではなく漸進的に実現したもの。その時も一国二制度には手をつけず、被用者保険本人は自己負担ゼロ、それ以外は5割と大きな格差があった。
第3期(61〜82年)は「福祉国家」の拡充期で、患者負担割合は低下。73年には老人医療の無料化で老人の受療率が大幅に上昇。同時に高額療養費制度ができて医療費による生活破綻の危険性がなくなった。
第4期(82年以降)は「福祉国家」の調整期で、患者負担は引き上げられた。現在は、全国民がほぼ3割負担に統一され、より公平になった。
公平な制度を実現するには、保険料は所得水準で上下するので、保険者による加入者の所得格差を調整する必要がある。そこで国は、所得水準の低い保険者に対して助成をしている。それでも階層間に大きな格差が残る。もう一つの問題は年齢構成の格差への対応。後期高齢者医療制度導入前は、保険者によって違う年齢構成に対して、老人保健法による拠出により保険者間の財政調整を行ってきたが、被用者保険としては大きな不満となった。
後期高齢者医療制度は制度廃止の方向で改革案が示されているが、現状は一国三制度が併存。国の助成と高齢者医療費の保険者間の財政調整で成り立っているが、不十分なため保険料負担も大きな格差がある。国民を高齢者とそれ以外に二分する世代間の対立もあおられてきた。高齢者以外の低所得者に対する対応も不十分。何よりも3500の所得・年齢構成の異なる保険者が存在する国は日本以外にない。
都道府県単位化で私案
これらを踏まえ池上氏の改革案を提案。加入する保険によって保険料率に3倍以上の格差があってもよいかを国民に問う。次に同じ都道府県に居住し、同じ所得であれば、年齢・職業を問わず同じ保険料を支払うというビジョンを国民に提示。そして全ての保険者を都道府県単位に漸進的に統合一本化。所得・年齢構成などの加入者側の要因による都道府県の負担能力の格差は国の責任で対応。医師数や供給側の要因による都道府県の医療費の格差は住民の保険料で対応。医療の
割は同じ都道府県内で完結しているので、地域医療計画における知事の権限を強化して効率的な医療を提供するよう改める。
そのためのロードマップは、(1)国保の賦課方式を標準方式に統一、市町村の一般財源からの補填を順次廃止(2)被用者保険、国保それぞれにおいてリスク・所得構造調整を行う。ただし年齢調整は高齢者とそれ以外ではなく、5歳階級で行う(3)国保を都道府県に統合(4)被用者保険を協会けんぽを核に再編統合(4)社会保障番号制度等の導入により所得捕捉の徹底(5)国保の応益を廃止し被用者保険の応能の定率負担に統一(6)事業主が負担している保険料は被用者の給与の一部ゆえ、保険料相当部分を一律加給(7)職場固有に保健事業のみ職場で担う―というもの。
全国一本化案の展望きく
意見交換も活発に行われ、津田理事より年齢リスクと所得構造調整を行うということでは池上私案と協会案は共通であり、都道府県単位に止めず全国一本化を目指すべきではないかと尋ねたのに対し、池上氏は国への一本化の問題点として診療報酬を含め国の統制が行き渡りすぎて小回りが効かない懸念がある。地域特性に応じた医療のあり方や保険料設定の仕方があっていい。都道府県単位が適切である、とした。
※銷夏号に再録予定。
皆保険50周年講演会のもよう