憲法を考えるために(35)
改めて憲法を巡る諸問題について―立憲主義
これまでに取り上げてきた憲法を巡る諸問題について、重複を恐れず改めて取り上げてみたいと思います。
日本の憲法は他の多くの国の憲法と同様、近代立憲主義に基づき、成文化された憲法典を持ち(例えばイギリスは成文化された憲法典がない)、その改正には通常の法律の手続よりも厳格な手続を必要とする硬性憲法です。
一般に立憲主義とは、国家権力は「人の支配」(人による国の支配)ではなく、「法の支配」(法による国の支配)のもとにあり、その法によってその国家権力を制限する考え方(あるいはその仕組み)といわれています。そして「近代」立憲主義は、「近代」国家の権力を制限するものですが、ではこの場合の「近代」の意味内容は何をさしているのでしょう。
近代以前は、(例えば「神の支配」のように)社会の様々な価値観を比較判断する時に基準となる価値観がありうると考えられていました。しかし近代になってその世界観が広くなるにつれ、社会にある(人の信じる)価値観は多様であり、その比較判断の基準となる指標となりうる価値観などなく(例えば様々な宗教を信じる人々がいるように)、それはもはや比較不可能な多様性といわざるを得ないことがはっきりしてきました。このような比較不可能な(重要な問題に於ける)価値観の併存そして対立は深刻な争いに結びついてしまいます。この「近代」の状況に対し、立憲主義は次のように考えます。
まず社会を(1)私的領域と、(2)公的領域に区分して考えます。(1)の領域は個々人の価値観が尊重され、個人の自由・権利として守られるべき領域であり、(2)の領域は公共の、政治的な、社会としての統合を目指す領域であり、その両者を区分しかつ両立させようとします。(1)の個人の自由・権利は最大限尊重されるべきものであり、(2)の政治的な議論・決定は民主主義によって行われることを通じて、立憲主義=法による国家権力の制限=個人の(自由・権利の)尊重を達成しようとする考え方、仕組みといえます。
「権利の保障が確立されず、権力の分立が定められていない社会は、憲法を持つものとはいえない」(フランス人権宣言)。これは立憲主義に基づく憲法を意味すると考えられますが、次回以降で立憲主義の仕組みなどについても考えてみたいと思っています。(政策部会理事・飯田哲夫)