原発事故報道にひそむ問題
東北地方の地震で亡くなられた方々、生活の基盤を失われた方々に、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。救済と復興はもとより、その多くは自然災害だとしても、防ぎ得ることは何であったかの十分な検討もまた我々に課された義務でしょう。福島原発事故に関する現在までの報道をみて、いま思っていることを書いておこうと思います。
(1)「想定外の事態が発生した」―想定外ではない。その多くは想定され、警告されていた。国、電力会社はそれを無視していた。そもそも、原発のような巨大システムに起こることを全て想定することは不可能であり、それがもたらすものは、救いようのない惨事である。
(2)事故情報は、「全て」速やかに公開するべきである。テレビの記者会見で関係者が、私には何処まで答えてよいかの許可がないなどと返答していた。推定、未確認の情報で市民を混乱させないためなどの言い訳は(市民の生命にかかわるような状況では)通用しない。推定、未確認、それへの率直な関係者の評価を付け加えればいい。
(3)計画停電やむなしと報道されているが、停電の必要性は事実としても、それは原発が停止した「だけ」に起因するとは思えない。地震による(まだ充分に分からない)様々な原因が複合して起こっている可能性が極めて高い。このことをもってして、原発の必要性などと言ってはならない。
(4)電力会社は、大きな被害を受けたとしても、人々に大きな不安を与えたばかりでなく、少なくとも現時点まででも、人の住む環境に放射性物質を放出した「加害者」でもある。
(5)「原発は危険らしいけど、電力は必要」と、事故ばかりではなく、日常的にも放射能障害を完全には避け得ない(人の健康を傷害する)電力に依存し、原発を容認してきた私達自身にも責任があるのではないだろうか。(3・14)
(政策部会・飯田哲夫)