続 記者の視点(2)  PDF

続 記者の視点(2)

「プライド」と「プロ意識」

読売新聞大阪本社編集委員 原 昌平

 「医師はプライドで生きている職種ですから」と、何年か前、ある看護師からもらったメールに書かれていて、なるほどそうかと思ったことがある。

 医師を「先生」と呼ぶ医療現場の習慣を少し見直してはどうかという提案を、この欄の前身「記者の視点」に書いた時のことだ。その内容を医療系のメーリングリストに投稿したところ、「呼び方は『先生』でなくてはならぬ」と強硬に主張する人もいた。

 人間が生きていくうえで自尊感情は大切だし、仕事や職業への自負心、誇りもなくてはならない。

 その意味でのプライドを持つことは悪くないのだけれど、日本語で使われる「プライド」には、他者との位置関係で物を見るという面が加わってくる。

 患者から診療方針に疑問をはさまれるとムッとする、看護師から意見を言われるとカチンとくる、といったことはないだろうか。どんな場合でも医療現場を仕切るのは医師である、といった発想はないだろうか。

 医師は、たくさんの知識や技術を必要とするし、人を助けるというやりがいのある職業である。

 とはいえ、医師という職業そのものが、たとえば看護師や薬剤師やソーシャルワーカーや料理人に比べてエライわけではない。

 難しい医学部の入試に通った(かつて受験勉強ができた)、医師国家試験に通った(オールマイティーの医師免許を得た)といったことは、職業の上下関係や腕前とは別の話である。

 現場の指揮役を務めたり医療施設の管理者であったりするのは「役割」ではなかろうか。一般の企業でもそうだが、管理的な地位に就いたからといって、その人が優秀だからとは限らない(なのに本人はそう思ってしまうから下が困る)。

 プライドが傷つく、という言葉もある。プライドの高い人は、批判を受けると被害感情を抱きやすいようだ。一部の医師たちが時々、医療問題をめぐる報道に激しく反発するのを見ると、プライドの高さの裏返しではないかという印象を受けることがある。

 結局、プライドというのは、意識すればするほど、あまり有益な作用をもたらさないのではないか。

 では、どんな意識を持ったらいいのか。

 お勧めは「プロ意識」である。これも日本語の世界だが、高い技能を持った専門職や職人をプロと呼ぶ。

 プロの教師、プロの運転手、プロの料理人、プロの大工、プロの捜査員…。停滞社会と言われつつも、日本の世の中がそれなりに回っているのは、プロ意識を持って働いている人々がまだ大勢いるからだ。

 プロ意識とは何か。ひと言でいえば「仕事の中身」を何よりも大事にするということだろう。他者からどう見られるかより、仕事そのものの出来を優先する。

 具体的には第一に、一定水準以上の仕事をする。基本を怠ったり、いいかげんに済ませたりしない。臨床医の場合、そこには患者とのコミュニケーションのあり方も含まれる。

 第二に、自分の側の事情で言い訳をしない。睡眠不足だった、人間関係で気分がくさくさしていた。そういったことは、仕事を提供する相手には関係がない。

 第三に、意見や指摘を受け入れる。プロ野球選手もエラーはするし、医師も診断を間違える。それを教訓にするのは、よりよい仕事をしたいなら当然だろう。

 厳しいことばかりのようで、プロの記者である私も書いていて少しこわいのだが、しんどいばかりではない。仕事の中身に集中するのは、他者との関係を気にするより気分的には楽だ。

 一方、プロの腕を支えるための環境も必要である。

 まず適度な休養。言い訳をしないことと矛盾するようだが、プロのサッカー選手でも、試合が連日続いたら、へとへとになって力量を発揮できない。

 次に現場の裁量。プロらしい仕事は機械的にはできない。ただしそこには責任を伴う。基本を怠ることは許されないし、他のプロからシビアに評価されることも覚悟しないといけない。

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