東北地方ジグザグローカル線(ハプニング連続)の旅/日本ローカル鉄道の旅 その10  PDF

東北地方ジグザグローカル線(ハプニング連続)の旅/日本ローカル鉄道の旅 その10

北小路博央(北)

 東北地方のローカル線は本シリーズでその3、その5(7回連載)、その6(5回連載)と3回とり上げているが、未乗線はまだまだ残っている。2010年9月、乗り残したローカル線をジグザグに乗りつぶす旅に挑戦した。ターゲットは花輪線(大館―盛岡)、山田線(盛岡―釜石)、大船渡線(盛―一関)、北上線(北上―横手)、陸羽東線(新庄―小牛田)、会津鉄道(西若松―会津高原尾瀬口)、野岩(やがん)>鉄道(会津高原尾瀬口―新藤原)、東武鉄道(新藤原―栃木)、水郡線(水戸―郡山)の6線、3鉄道と高齢者にあるまじきハードな旅となった。

(第1日)

 京都→大館(青森県)は辛うじて生き残っている寝台特急「日本海」を利用することにした。「日本海」は全席開放式寝台のためか乗車率がわるく、早晩廃止の噂もあるので今のうちに乗っておかねばならない。

 9月某日夕方、弁当を買い込んで勇躍、京都駅のホームに入ったとたん、後から駅員さんの大声、「お客さん『日本海』は本日運休ですが…」、「ナニ、アナウンスも掲示もないのに…」、「ここに掲示してます」、改札口の横にA4程度の紙に、“東北地方日本海側大雨のため…”とある。旅にハプニングはつきものだが、初日の出発からいきなり運休とは、ホームのベンチにがっくり座り込んでしまった。

 「明日は出るのか」、「多分運行すると思います」、即刻、すべての日程を一日遅らせて明日出発に切りかえたのは高齢者のしたたかさかも知れない。

(再びの第1日)

 翌日、定刻発車の「日本海」に乗り込んだのは例によって家内と用心棒の甥っ子S君(ガンガンの乗り鉄)の高齢者3人組。ヤレヤレとデパチカ弁当で祝盃を上げた時は、またまたとんでもないハプニングが待っているとは知る由もなかった…。

(第2日)

 寝台車はガタンゴトンのリズムで走っている間は眠れるが、停ると目が覚めるものである。ひと眠りしてホームの「新津」の駅名を見たのが1時半、「ほぼ時刻表通り…」と安心して寝てしまい、再び目覚めたのが4時、何とホームの駅名は「新津」のままではないか。S君が「これは非常事態では…」とつぶやいたとたんに深夜の車内放送、「本列車はここで運転打ち切りになりました。乗客の皆様はそのまま座席でお待ち下さい」

 再度のハプニングにヘロヘロになりそうだったが、S君は「こうなったらJRのお手並拝見ですな」と悠然たるものである。

 6時頃、再び車内放送、「皆様方はこれから新潟までチャーターバスでお送りして上越新幹線で大宮へ、東北新幹線で秋田・青森へ行っていただきます」。成程、そのテがあったか、駅では非常召集されたらしい眠たげな若い職員がそれでも丁重に誘導してくれて一人一人にペラペラの紙片を渡してくれる。これで秋田・青森まで新幹線のただ乗りができる仕組とは、JRにしては上出来の対応であった。

 新幹線は盛岡に12時22分着、花輪線は断念せざるを得なかったが、盛岡発13時51分の山田線「快速リアス」宮古行には予定通り間に合った。山田線(盛岡―宮古―釜石173km)は開設当時「猿でも乗せるつもりか」と国会で野次がとんだという有名な過疎ローカル線、沿線は見事に山ばかりで民家もチラホラ、それでも「快速リアス」は3輌の豪華?編成で快適に走る。

 宮古では3分間の必殺乗りかえ技を披露して、この日は釜石に一泊。ハプニングにめげず予定通りの旅程をこなすことができた。

(第3日)

 5時に早起きして釜石湾のすばらしい日の出を鑑賞する。釜石からは第三セクター三陸鉄道南リアス線(既乗)で盛へ、ここから話題のドラゴンレール(鍋弦線ともいう)大船渡線(盛―一関68・2km)となる。かつての政治家のゴリ押しによって路線がなべづる型に曲げられたと悪評ふんぶんのローカル線だが、乗ってみると路線は川の流れに沿って山の中の集落をたくみに辿っているようで、必ずしも政治路線と断定できないのでは、と思ったりする。

 一関→北上は東北本線鈍行ロングシートで40分、北上駅で約2時間の待合せは駅前の新築ビルで思わぬ優雅なコーヒータイムが持てた。

 北上線(北上―横手67・2km)で今夜の宿「ほっとゆだ」まで約1時間、車窓の深山幽谷にようやく夕暮の気配を感じる頃、名前の通り駅に温泉が併設されている「ほっとゆだ」駅に着く。駅前には路線バスが2台並んでいるだけで何もない。路線バス約10分で本日の宿湯川温泉「F里」に着く。

 平屋建てだがフロントの応対もよく、ヒナマレな料理も出て近頃最高の宿とくつろいだところで、またまたハプニング発生!(その詳細は省略)

(第4日)

 「ほっとゆだ」→横手の北上線は登校の高校生で満席、全員が旅行客に「おはようございます」と大声であいさつするので気分がよい。車中おにぎりの朝食(ローカル線の旅は早朝出発が多いので朝食は宿で作ってくれるおにぎりですませることがしばしばだが、これが意外においしいのだ)。横手→新庄は奥羽本線のロングシート、新庄駅には山形新幹線(つばさ)の独特の車体が停っていた。

 新庄から陸羽東線の鳴子温泉乗り換えで古川へ、鳴子温泉駅周辺は硫黄の臭いのする温泉ばかりで足湯もある。この辺りから雨になって「奥の細道ゆけむりライン」は雨でけむってしまう。

 古川→郡山は東北新幹線「やまびこ」で1時間、郡山→会津若松の「快速あいづライナー」は会津名物「赤べこ」のロゴ入り豪華列車、このロゴは赤い犬かと思ったが、赤い牛の由。会津若松での会津鉄道への乗り換えは端っこのホームまで3分間の跨線橋越えの大技、こんな乗り換え時間の設定だけはどうにも合点がいかない。

 本日の宿、湯野上温泉のS亭は立派なホテルだが、団体客優先のようで少人数の夕食はロビーの片隅のようなところで「今日は一日雨だった」と言いながら、ボソボソと食べる羽目になった。

(第5日)

 湯野上温泉から会津高原尾瀬口までは会津鉄道(西若松―尾瀬口57・4km)、尾瀬口から新藤原まで30・7kmは野岩鉄道、そこからは東武鉄道(私鉄)が浅草までつながっている。会津鉄道は福島県が主体の第三セクター、野岩鉄道は栃木県の三セク、互に路線を共有しながら経営主体が違うのは何とも不便な話だと思うのだが、県が違うとどうにもならないのか…。

 鬼怒川温泉駅で東武電車特急スペーシアに乗り換える。豪華特急だが、車輌はウバザクラである。栃木でJR両毛線に乗り換え水戸へ、いよいよ今回最後のローカル線、S君待望の水郡線(水戸―郡山124・4km)である。この辺りで身体的には限界のヘロヘロなのだが、水郡線沿線の、のんびりと豊かな日本的田園風景に魅せられている中に3時間が過ぎた。郡山着が数分遅れて東京行東北新幹線のホームまで連絡橋を全力疾走、発車ベルが鳴り終わると同時のかけ込み乗車に成功。

 ハプニング続きの旅であったが、未乗線5線3鉄道を無事乗り継いだ有意義な旅であった。今回は「日本海」途中運休のため、花輪線に乗り損ねたが、ローカル線乗りつくしの旅は、一つでも乗り損ねた路線を乗りつぶそうと再度挑戦するところに、他人に分らない苦労と楽しみがある。

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