きのう今日とは思はざりしを!  PDF

きのう今日とは思はざりしを!

 レオナルド・ダ・ヴィンチを描いたBBCのテレビドラマで、「死の確実なるおとずれと、その期日の不確定なるにより…」と書式に従って遺言をしたためている場面があった。しかし、「つひにゆく道とはかねてききしかどきのう今日とは思はざりしを」(伊勢物語125段)ともあり、その日が近づくと本人にはそれと分かるもののようである。関連する話題の講演や学生講義では、休憩・気分転換時に、「きのうや今日とは思わなかった」意味なのか、「きのうまで今日とは思わなかった」なのか、どう思うかと尋ねることがある。文法的には根拠付けの接続詞もなく、まして経験もないので「どちらかなあ?」と悩みながらも、文理的には後者に挙手する人が多い。終末期の施設では「今日、はかなくなる」とさめざめ泣いている人があったなど、後者を支持する報告もある。

 還暦を過ごしてからは、期日は不明なままだが「自分もその内だなあ」と、50歳代にはなかった意識の芽生えに気付く。本院受診者の中にも、消化器癌やら脳血管病変が発見され健康長寿を維持し続けるのが困難になってきたり、腹水を貯留しながらも肝庇護剤を静注して活力の維持にと通院してくる人もあり、明日は我が身かとしみじみとした思いになる。

 遺族となる患者の家族には、長くできるだけのことをしてもらいたいとの希望もあれば、無駄な引き伸ばしになるより早く片が着いてほしいとの希望もあり、医事紛争を含めその後の結果とも関連して、困難ではあるが見極めが重要である。「遠くの親戚大いに怒る」(本紙号外『事例で見る医療安全対策の心得』医療安全いろは歌「と」)で、安らかならざる経過や最期では、特に医療処置により悪化したり苦痛が増した場合は、遺族となる者に生前からいわゆるカウンセリングマインドを意識した対応が必要となる。矛盾した思いもあり、口頭では何とでも主張できることから、それがモンスター化することにもなる。喪失感の緩和には、数日間は病室に留まってもらい介護や見守りの実践に参加してもらうのが効果的で、便宜を図る必要もあろう。

 整形外科診療での医事紛争の統計調査をしてみると、死亡事例は対診を含め他科診療科目の症状を併発した重症例などで多く、訴訟になった事例では更に、賠償用の保険金額も大きく、要注意である。

(宇治久世・宇田憲司)

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