憲法を考えるために(29)
「憲法とグローバリゼーション」
科学・技術の発達、経済の変化・発達などにともなって、政治、経済、文化、環境などが、今後ますますグローバルな相互依存を深めていくと思われます。国民国家を前提とした憲法も、グローバル化していく世界との関係で捉える必要がより大きくなると思われます(そのことをもって、国家の根幹を定める憲法を、変化に合わせて変えるといっているわけではありません)。更に世界では、EU憲法のように国民国家の枠組みを越える憲法も出現し、それは近代憲法の根幹をなす立憲主義のグローバル化(国家を前提とした立憲主義(憲法)の普遍的採用)を越えて、グローバルな立憲主義(国家を越えた立憲主義)の試みであるともいわれています。
立憲主義は「国家を」人権と民主主義によって縛ろうとするもの(国家からの人権の保障)ですが、「国家を越えた」人権の国際化(国際人権保障)とはいかなる理念でしょう。具体的な問題の一例として、自由権規約と社会権規約(両者を併せて国際人権規約)と憲法との関係はどう考えるべきなのでしょう(例えば社会権規約13条「初等教育は、義務的なものとし、すべてのものに対して無償のものとする」と、憲法26条「すべての国民は…ひとしく教育を受ける権利を有する」における、「すべてのもの」と「すべての国民」の関係)。あるいは、グローバル化は人の国際間移住も増加させますが、では海外に居住する日本人の生存権保障は、第一次的には国籍国の責務でしょうか、あるいは第一次的には居住国の負うべき責務でしょうか。
そしてここに出てくる国籍は憲法の基礎概念ともいわれるもので、その検討の如何は外国人の人権・権利に関する憲法解釈と深く結びついているといわれています。具体的な一例をあげれば、憲法において権利章典にあたる第3章(国民の権利及び義務)とその各条には「国民」の語が存在し、その最初の条文(10条)は「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」であるにもかかわらず、人権における「国民」の意味は相対化されているといわれています。それは「人権が人の生来の権利であり、その意味で前国家的な権利である以上、その主体性が後国家的な国籍の有無に依存するとは考えられない」ものであり、「日本の領土内にいるものには、国籍の有無にかかわらず日本の国家権力が及び、一方、人権(の保障)が問題となるのは権力との関係においてであるから、その意味で日本の国籍を有しないものにも人権の保障が及ぶ」といわれています。最近話題になっている外国人参政権についても、ここで取り上げた考え方なども視野に、該当する国々について過去から現在に至る正しい認識に立ち、社会の様々な変化と実情に応じて考えるべきで、感情的な好悪などに基づいて決めるべきではないのはいうまでもないと思います。
(政策部会理事・飯田哲夫)