憲法を考えるために(28)

憲法を考えるために(28)

「憲法と地方分権」

 地方分権(分権改革・分権社会)について少し考えてみたいと思います。

 憲法における地方自治に関する条文は、第8章・地方自治の4条であり、その第92条(地方自治の本旨の確保)は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と述べていますが、よって立つべき「地方自治の本旨」については、何も言及していません(地方自治法などの地方自治に関する重要な法律においても用いられていますが、いずれもその内容についての記述は無いようです)。

 この「地方自治の本旨」は地方自治の目指すべき規範とされていますが、一般的には、団体自治と住民自治=国から独立した地方自治体が、自らの権限と責任においてその地方の行政を行い、それを行う場合にはその自治体の住民の意思と責任に基づいてのみ行うという二つを意味するといわれています。

 そして現実に地方分権がいわれるとき、ややもすると自治体の権限の拡充=団体自治にかたより、住民自ずからの民主主義の実現としての自治=住民自治が希薄であるとの指摘もあるようです。

 しかし、それ以上に地方分権を考えるとき注意すべきは、「地方自治の本旨」からかけ離れた考えや、それに照らして疑問を感じざるを得ない考えが、地方分権という言葉の中に忍び込んでいないかです。

 前回、「立憲主義」で憲法の持つ最も重要な理念は「個人の尊重」であり、それにもとずく様々な人権の保障の重要なものとして、(自由競争のもとといえども)社会的・経済的弱者に、国が積極的に介入しその生存(権)を保障していくことが含まれてると述べました。しかし今、グローバリゼーションのもとでの新自由主義は、市場原理に全てをゆだね、「自己責任」の声のもとに、これらを限りなく切り捨てようとしているように思えます。地方分権においても、自治体が自ずから決めることのできる範囲を拡大することの本音が、国として本来あるべき役割(特に財政的責任)からの撤退にあるのなら問題と言わざるを得ません。

 個人であれ、自治体であれ、「自己責任」で全てをやるべきであるという考えのもとで、地方自治の原則は自主・自立であるから、そのためには住民が「適正な」負担をすることは当然であり、(地域格差があるとしても、国に頼らず広域化などして)自治体が「健全な」財政を維持する義務を負うべきであるという考えなら、それは「地方自治の本旨」に名を借りた、国の責務の放棄につながるのではないでしょうか。

 道州化、広域化などもその目指すところを(具体的な事項に応じて)よく見極める必要があると思います。

(政策部会理事・飯田哲夫)

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