中野信夫名誉理事長が逝去 100歳
協会の設立と発展に多大な貢献 保団連の設立にも尽力
元京都府保険医協会理事長の中野信夫先生(中京西部)が1月16日ご逝去。享年100歳。
中野先生は1910年9月京都市生まれ、33年に大阪高等医専卒業、37年に中野眼科医院を開業、50年に京都医療生活協同組合を創立。
京都府保険医協会には49年の設立時から参加、52年常任理事、56年副理事長、62年に富井清氏(初代理事長)の後を継いで理事長に就任し81年まで協会活動を主導、81年顧問、82年名誉理事長。各地の保険医協会や全国保険医団体連合会の設立にも尽力され、69年の設立総会で初代会長に就任、83年からは名誉会長。
また、さまざまな分野で活躍され、日本医師会代議員、京都府地方社会保険医療協議会委員、京都府社会保険診療報酬支払基金幹事、京都府国民健康保険団体連合会審査支払運営協議会委員、京都眼科医会副会長、京都府医師会代議員会議長などを歴任。
先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
なお告別式は19日、東山区の中央ブライトホールにてしめやかにとり行われ、多くの方々が先生をお見送りした。
※後日、本紙において追悼特集を予定。
中野信夫先生の主なご略歴
1910年9月1日 | 京都市東山区生まれ |
33年3月 | 大阪高等医学専門学校を卒業 |
37年3月 | 中野眼科医院(千本丸太町)を開業 |
41年1月 | 軍医として召集。ビルマ戦線を転戦し終戦迎える |
46年10月 | 松田道雄氏らと京都医療社会化連盟を組織 |
49年6月 | 富井清氏らと京都府保険医協会を設立 |
50年4月 | 京都医療生活協同組合を創立 |
54年4月 | 日本医師会代議員 |
62年1月 | 京都府保険医協会理事長 |
66年4月 | 日本眼科医会代議員 |
68年1月 | 京都府医師会代議員会議長 |
69年1月 | 全国保険医団体連合会設立に努力、初代会長 |
82年7月 | 京都府保険医協会名誉理事長 |
83年1月 | 全国保険医団体連合会名誉会長 |
83年8月 | 平和のための京都の戦争展呼びかけ人 |
86年11月 | 日本医師会70周年記念特別功労賞表彰 |
03年9月 | 視覚障害者福祉への貢献で第21回鳥居賞 |
追悼/故中野信夫先生を追悼する
全国保険医団体連合会会長 住江憲勇
中野信夫先生、先生の足跡を辿らせていただきますと、無産者診療所、地域医療、京都府保険医協会、保団連における偉大な功績に今更に改めて敬意と感謝の念を持ちつつ、謹んで哀悼の意を捧げます。
先生が終生持ち続けられたのは、患者・国民にとっての保険医療、保険医にとっての保険診療の充実・改善・制度としての確立の情念でした。
1960年代後半の「何をさておいても健保特例法は阻止しなければ」と保険医団体連合会による大闘争の経験から、悪政に対峙し得るために全国の保険医に統一と団結を訴えられ、1969年1月に全国保険医団体連合会が結成されました。
しかし、結成間もない保団連には幾度となく難局面の遭遇もありましたが、その都度「保団連は保険医の明るい未来を切り開く方策を支持して、統一と団結で前進できる状況を作らねばならない」という、先生の強い信念で克服し発展を重ねてきました。この信念は未だ保団連の真髄であり、これの発揮による更なる保団連の発展を御霊前にお誓い申し上げます。
先生、どうぞ安らかにお眠りください。
弔辞/先生の思いを受け継ぎ保険医運動を推進
京都府保険医協会理事長 関 浩
謹んで故中野信夫先生のご霊前に弔辞を捧げます。
中野先生は明治43年9月1日に京都市東山区五条橋3丁目にお生まれになり、昭和8年3月、大阪高等医学専門学校をご卒業され、眼科医としての道をお歩みになられました。
先生は、戦前から医療の民主化運動に取り組まれ、先生が編集兼発行人となって発行された青年医師クラブの機関紙『医療と社会』で、「吾々はもっと今日の医学や医療を大衆がよく利用し得るような方法について研究することが更に必要なのではなかろうか」と訴えておられます。先生26歳の時でした。
その後、軍医として召集され敗戦を迎えることになりますが、戦後は松田道雄氏らと共に京都医療社会化連盟を組織され幹事となられ、また戦後の混乱が未だ収まらない中で社会保険の発展と保険医の権益擁護を願い、京都府保険医協会の設立にご尽力されました。昭和37年1月からは保険医協会の理事長として、およそ20年にわたって京都の保険医運動を導かれました。そして、先生のご活躍は、京都だけでなく全国の保険医が知るところとなり、昭和44年には全国組織としての全国保険医団体連合会を設立、初代会長として全国の保険医の先頭に立って保険医運動を進められました。
そうしたご尽力により、わが国の保険医療制度は世界一とまで言われるようになり、いつでも、どこでも、だれもが安心してかかれる医療が、制度として確立しました。先生の保険診療に対する熱い思いがなければ、このような制度を確立することができなかったのではないか、との思いを強くしております。
しかしながら今、わが国の保険医療は大きな転換期を迎えております。この時にあたり、私たちは先生が保険医協会を設立された意志に思いをいたし、先生の遺志を受け継いで保険医運動を推進して参りたいと考えております。
京都府保険医協会は昨年60周年を迎えました。これを機に改めて、国民医療の充実・発展と保険医の権益擁護の協会目的を達成するための決意を新たにしたところでもあります。
また先生は、ご自身の苦い戦争体験から、「平和」への思いが誰よりも強く、「平和のための京都の戦争展」の開催を呼びかけられるとともに、立命館大学の「国際平和ミュージアム」設立にご尽力されました。その生きざまは私たち後進の目標とするところであります。
中野先生。長い間、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
ここに、在りし日の先生のご温容を仰ぎつつ、改めて生前のご労苦に感謝を捧げますと共に、心からご冥福をお祈りいたします。