憲法を考えるために(27)
「立憲主義」
立憲は言うまでもなく、憲法を制定することですが、立憲主義は単に憲法を制定し、それに従って統治するという政治の在り方をいうのではなく、そこで制定される憲法が、人権を保障し、権力分立を実施するように国家の統治機構を定めていることが要件です。近代の憲法は、この立憲主義に基づくもので、日本国憲法も言うまでもなく同じ考え方に基いています。
国家は(領土や住民を)権力を持って統治する主体で、住民の自由を規制する権限を持っています。そして古今東西の歴史をみれば、その権力が住民の生存すら脅かすほどの自由の制限を強いてきたことがあったのは紛れもない事実です。そして近代になって、その権力に歯止めをかけようとして生まれてきたのが、立憲主義だと言えると思います。
立憲主義とは(国家)権力の行使をすべて憲法の定めのもとに置き、憲法が国家権力に権限を授け(授権規範性)、憲法が国家権力を制限する(制限規範性)ものであり、言葉を変えれば(住民側から見れば)、立憲主義に基づく憲法とは、自由と人権を保障するために定めらたものです。そしてその自由と人権の保障を実効あるものにするための仕組みとして、憲法は全ての法の上位にある(最高法規制)、法の支配=国家機関は全てあらかじめ定められた法に(執行手続きも含め)拘束される、そして権力分立(三権分立、特に違憲審査権を持つ司法の独立)などがあり、また民主主義も重要です。
人権には、自由権(国家からの自由)として、思想、良心、信教などの自由(精神的自由権)、職業選択の自由など(経済的自由権)、また社会権(国家が与えるべき自由)として、生存権(最近法的にも確立した平和的生存権を含む)、教育を受ける権利など、その他参政権など数多くありますが、そのもとになる考えが、個人の尊重(人は法の下で皆同じ権利を持ち、人は一人一人皆違う自由を持つ)であり、それを定めた「全て国民は、個人として尊重される」(13条)は、憲法の最も重要な規定だと思われます。
個人の尊重を利己主義と取り違える(時には意図的に取り違える)などは論外ですが、民主主義(という手段)が、例えば多数派が少数派の人権を侵害する危険性を孕んでいる限りにおいて(民主主義という手段が暴走して人権侵害を引き起こしてしまったことは歴史の教えるところです)、憲法(法の支配)は、それを制限しうるのは知っておかねばならないことだと思います。
言葉を変えれば、個人の尊重は最優先で最大限守るべきことで、憲法の持つ平和主義はその意味でも(戦争は個人の尊重が最も危機に曝されるのですから)大切なことだと思います。
(政策部会理事・飯田哲夫)