新医師会館入居の全会員への訴え

新医師会館入居の全会員への訴え

 京都府医師会の第180回定時代議員会が10月17日午後、府医師会館で開催された。代議員会では、代議員より新医師会館への協会の入居問題について意見が出され、予定時間を超えて意見交換が行われた。意見交換では、協会の入居は会員の声であり、この声に是非とも応えていただきたい、との要望が出される一方で、そのことに必ずしもこだわる必要もないとの意見も出された。そうしたやり取りの後、府医執行部より「会員の意見を聞いたうえで決定したい」と提起され、議長がそれを結論として代議員会を終了した。この代議員会の議論を踏まえて関理事長はこのほど、以下のような「新医師会館への入居に関し改めて全会員に訴える」との見解を明らかにした。会員各位のご理解とご協力を是非ともお願いしたい。

新医師会館への入居に関し改めて全会員に訴える

 

京都府保険医協会理事長 関 浩
京都府保険医協会理事長 関 浩

 保険医協会は、協会事務所の新医師会館への入居について、協会代議員アンケートや地区医師会、協会定期総会などを通じて会員の皆様のご意向をお伺いし、大多数から引き続き新医師会館に入居すべしとのご意見をいただき、それを踏まえて府医に対して数回にわたりお願いをしてきました。しかしながら回答は決まって「まだ決定していない」ということのみで、来年8月竣工するという今に至っても、何の相談も方向性も示されておりません。この9月にも面談を申し入れましたが、未だ実現していません。

 前々回の府医代議員会から、医師国保の入居は2億円の拠出金とともに語られ、既成事実化しております。私自身は医師国保の入居に反対するものではありませんが、この拠出金も、もとはといえば我々の資産ではないのでしょうか。

 戦後、新制医師会が誕生、1年半遅れで保険医協会が発足し、府医師会館の中で事務所を構えました。その後、両会はある時は対立し独自の活動を推進し、ある時は車の両輪としてしっかりと協力しあってきたのが、この60年間です。両会は共に、保険診療の充実に努め、京都の保険診療は全国一とまで羨まれるようになりました。

 また旧聞に属しますが、昭和27年、28年当時、竹下府保険課長による府医や協会を無視した保険行政、会員処分に対して、会員の不満が高まり、両会の運動によって罷免を果たし、東京に追いやったこともありました。会員を守る運動でした。

 このように、これまでの京都の医療の歴史を振り返ってみると、両会の運動の歴史がそのまま京都の医療運動の歴史であり、力を合わせて京都の医療を守ってきたことが実感できます。私達の先人の運動の成果はどうしてなしえたのでありましょうか?

 それは両会が共に「医師会館」を活動の拠点とし、会員のため、地域住民のため、日本の医療のため、何が必要かを常に議論し、意見交換する「場」があったからではないでしょうか?

 しかしながら今、新医師会館建設を機に、そうした「場」が失われることを危惧します。

 協会が追求してきた社会保障充実による内需拡大、雇用安定と府医が述べている社会保障の確立と思いは同じ、主張はそう変わりません。変わるのは手立て、手段でありましょう。

 昔から、「医師会は裃を着け行政と話し合う、協会は尻をまくって喧嘩する」と言われますが、別々のアプローチで会員のため、望ましい医療のため、それぞれの得意分野で最大限の努力をすることこそが、両会に課せられた使命ではないかと考えます。代議員会で述べられた「雨降って地固まる」これこそ求めるものと同感します。医師会が果たしている多くのことに賛意・感謝を示すとともに、もっと多くのことを協同して行いたいと希望します。

 協会は、イデオロギーに染まった団体との悪意ある話が流れますが、内部にいる人間として馬鹿げた妄言と断言できます。

 最後に、会員の皆様に訴えたいと思います。協会のこれまでの活動は、皆様に不利益を蒙らせたことがありますか?

 また、協会が医師会館を出て事務所を構えることは、すなわち会員の負担増につながると考えますが、いかがでしょうか?

ページの先頭へ