能の面(おもて)に魅力を感じて 藤居利夫(北)

能の面(おもて)に魅力を感じて 藤居利夫(北)

小牛尉 (著者作)

 写真の能面は、小牛尉(こうしじょう)または小尉と言い、室町時代初期の面打師小牛清光の名に因んで付けられた名称である。尉面には数種類あるが、その中でも位が高く、目もとと口もとに上品さを漂わせ、翁面に次ぐ神格化された能面で、能の「高砂」「弓八幡」等の前シテに用いられる。

 仮面の歴史は古くギリシャ時代からといわれている。我が国が大陸文化に接するようになったのは6世紀中頃で、仮面は中国を中心とする東洋諸楽の伝来と共に広まり、11世紀後半になって雑楽としての田楽や猿楽があらわれ、猿楽の能が独立し、続いて猿楽本来の狂言も独立するに至った。

 14世紀後半になって、観阿弥清次・世阿弥元清の父子によって今日の純粋な総合芸術としての能が大成されたことで、室町末期から江戸初期にかけて、世界に類を見ない優れた能面が次第に固定化され完成期を迎えるのである。狂言は元々飄逸な滑稽味を含んだ演技を主に表現しているので、仮面を必要としない芸能であったが、神仏、醜女、動植物等に扮する時に、素面では十分な演技が発揮できないという理由から狂言面が創作されたのである。

 能・狂言にとって面は最も重要な位置を占める神秘性、精神性の高い芸術品であるが、舞台で用いられてはじめて価値が上がり、魂が宿ると言われている。優れた面には品位があり、世阿弥は「面も位(くらい)に相応たらんを著わすべし」と述べている。世界に比類のない古典芸能の能楽は、2002年にユネスコの世界無形遺産に指定されたことで、一般に一層親近感が持たれるようになり、次第に愛好者が増えていることは喜ばしいことである。

 四十数年前から謡曲を習うことになり、それに伴い能・狂言を見に行くうちにいつしか舞台での能姿と能面の美しきに魅了されるようになった。物作りには興味を持っていたが、未知の領域なのでいつか素人の自分が作れたらという望みを秘めて、その時期の到来を待つことにした。

 その後何年かして、能面塾の記事を目にし、期待と緊張を覚えながら入門した。素直な気持ちが大切ということで一面、一面作っていきたいと思っていたが、はじめから満足できるような作品を作ることは到底難しく、模索を繰り返しながら今日に至るまで続けてきた。

 未熟ながらも、能・狂言面の数がある程度増えたので、その中の25面と能楽に関係のある作品と、妻が作ってきた人形も合わせ「能・狂言面とその世界」と名付けて京都府立文化芸術会館において個展を開くことができた。多くの皆様にご高覧下さいましたことは私の大きな喜びであり、あらためて厚くお礼申し上げる次第である。

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