日本ローカル鉄道の旅 その5(特別篇)京都から稚内まで 鈍行列車乗継ぎ6日間の旅(7)

日本ローカル鉄道の旅 その5(特別篇)
京都から稚内まで 鈍行列車乗継ぎ6日間の旅(7)

北小路博央(北)

第6日:滝川―旭川―名寄―稚内 313km
旅路の果て、稚内到着に感動!

第6日:滝川―旭川―名寄―稚内 313km

 8時8分滝川発旭川行鈍行の出発直前に約30人の幼稚園児が乗り込んできて大騒ぎ、旭山動物園にでも行くのか。旭川駅は三角屋根があったりして瀟洒(しょうしゃ)な建物、約2時間の待ち合わせも雨が激しくなって街を歩くつもりが駅前コーヒーショップで時間をつぶす。

 11時15分旭川発名寄行「快速なよろ1」は一輌だけの編成、伝説の塩狩峠もこともなくスイスイと越えて行く。旭川の駅弁「蝦夷わっぱ」が配られるが、これもまた辛くて難渋、東北、北海道の駅弁は素材は良いが辛口の傾向がある。

 名寄で最後の乗り換え、12時38分稚内行鈍行への接続が3分、当然同じホームの対面乗車と思っていたら何と跨線橋越えで一同大慌て、荷物を抱えて必死のダッシュでようやく間に合う。名寄の次の日進駅では行き違いもないのに20分停車するのだからJRのスジヤは何を考えているのか。

 今回の旅行最後の区間、私にとって初乗りの宗谷本線5時間30分は降りしぶく雨の中、原野もけぶって見えた。山の中の無人駅では旧い客車を改装してそのまま駅舎に使っている。乗降の人影もなく、冬は熊のすみかになっているのではないか、など思ってしまう。よくぞこんなところまでレールを敷いたものだと開拓時の苦労が偲ばれる。

宗谷本線無人駅は昔々の客車が駅舎
宗谷本線無人駅は昔々の客車が駅舎

 音威子府(おといねっぷ)駅に到着、伝説の駅そばを食べるべく雨のホームを旧い駅舎まで走る。屋台を駅舎の中に据えたような立食いそばでネギをパラパラ散らしただけのかけそばの味は素朴としか言いようがない。雨の原生林の中をどこまでもクネクネとレールが続くスローなローカル線の旅にすっかりはまりこみながら16時35分この旅の終着駅稚内に到着、当然のことのように雨はあがっていてホームの端の「日本最北端」のモニュメントの前で全員で万歳三唱!

音威子府の駅そば
音威子府の駅そば

 今回のようなハードでマニアックな旅は私にとって初体験で、体調次第では途中でのリタイアも覚悟していただけに、全行程をこなしての終着駅での万歳は万感胸にせまるものがあった。

日本のレールの北の端
日本のレールの北の端

 稚内市は人口4万、市内の道路も広くおおらかな感じで、長い時間をかけて原野を駆け抜けた北の端にこんな立派な町が忽然と現れるなんて奇跡のようである。雨があがったのが何よりで、名物の大防波堤、はるかかなたに雲かと見紛うサハリンや利尻富士の見える宗谷岬など、ちゃっかり観光もして、あとは明日、全日空で関空へ飛ぶだけ。友人の提案、オホーツクの海から太平洋岸を南下して京都に至るバスと鈍行乗り継ぎの旅は次回の楽しみにとっておこう。

(おわり)

 ※次回から、「日本ローカル鉄道の旅 その6(東北リアス海岸北上鈍行の旅)」を連載します。

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