文化講習会を開く

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 協会は12月7日、文化講習会「お香の歴史―源氏物語千年紀にちなんで」を香老舗「松榮堂」で開催、27人が参加した。講師は松榮堂代表の畑正高氏。

講習をきく参加者。円内は講師の畑氏
講習をきく参加者。円内は講師の畑氏

参加記 お香の歴史をきく

 御所にほど近い香老舗、松榮堂に入ると、ここは別世界、妙なる香りが辺りに漂っていた。

 この店部分に連なる会議室で、ご当主・畑正高氏によってお香の歴史が語られたが、その内容は日本人の文化史といえるほどスケールの大きいものであった。日本書紀によると、推古3(595)年、淡路島に沈水香木が流れ着いたのがその始まりである。これを薪として燃やした島人は、匂い立つ芳香に驚き朝廷に捧げたのである。香木は熱帯雨林に自生する樹木の木質部に、長い年月をかけて樹脂が沈着したもので、その生成の秘密は未だ解明されていないが、高温多湿の気象条件は必須である。正倉院御物や法隆寺宝物として、現在に至るまで大切に保管されているものもある。

 同種類の樹木でもその時の自然条件によって異なる芳香を放つ。代表的な香木に、沈香、伽羅、白檀がある。600年の第1回遣隋使派遣に始まる中国との交流は徐々に盛んになり、奈良時代には絵画や建築に代表される唐様文化が直輸入されたが、平安時代になると徐々になよやかな和様文化へと転じていった。舶来ものの香木に由来する香文化もまた然り。香木から得られた複数の香料を練り合わせて香気を楽しむ薫物(たきもの)は、貴族達の雅びな生活を彩り、源氏物語や枕草子にもしばしば登場する。香料はまた、それ以前に伝来した仏教の浸透に伴い、邪気を祓い清浄を保つものとしても定着した。鎌倉時代になると香木そのものの自然な香りが好まれるようになり、香文化は武家社会にも広まって行った。更に室町時代には茶道、華道と並んで香道が確立した。その中心となるのは聞香であり、これは立ちのぼる芳香を、嗅ぐのではなく「聞く」のであり、豊かで深みのある感性が要求される。江戸時代には、順次に焚かれた香木の名を当てる組香が庶民の間でも行われるようになり、そのための香道具の製作も盛んになった。

 現代は携帯電話やIT機器に象徴される視聴覚革命ともいえる時代であるが、これは光や音のデジタル化によってもたらされた。幸いにも現在、香りのデジタル化は不可能である。

 一方、嗅覚には環境に馴化し、時間の経過とともに鈍磨するという特性がある。しかし、嗅覚への心地よい刺激はそれ以外の感覚にも働きかけてこれを活性化すると推測される。

 この情報過多社会にあっても自己を見失うことなく心豊かに生きてゆきたいものであるが、この時お香は何らかの役割を果たすのではないだろうか。

 終始焚き続けられていたにも拘わらず、お香の香りは既に感じられなくなっていたが、心なしか背筋が伸びたようで、自己主張しない香りの力が早くも発揮されたに違いないと納得しつつ、足取りも軽く会場を後にしたのである。

(伏見・立石 恭子)

 ※参考:畑正高著『香三才』(東京書籍)

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