「満洲国からの引揚」満洲生まれのつぶやき(18)
木村 敏之(宇治久世)
帰国
いよいよ本国へ帰ることができ緊張は一気に高まったことだろう。『満洲の思い出』に書かれているところでは、船尾に大きな穴の開いた船で、川崎汽船に問い合わされたところ排水量9502トンの昭和20年3月31日陸軍に徴用され終戦と同時に引揚船となったという。この船は戦時中に兵員輸送のために改造されていたこと(M丙型特殊船)がインターネット検索で分かった。さらに、熊野丸の復員船としての仕事の中で事務官をされていた方が「古い話だが」と前置きされ「終戦の翌年大竹港まで乗船した経験で瀬戸内海に入ると松の匂いがした」と書かれ、どうもその時の熊野丸という船がわれわれの乗り込んだ輸送船であったと推測された。
熊野丸(陸軍所有) 昭和20年3月竣工。全長110mの飛行甲板を有する平甲板型空母。航空機輸送に使用する場合は四式戦闘機合計35機搭載可。実戦に投入されず、戦後は復員船として活躍(インターネット上の写真より著者描く)
7月4日に大竹港に着くまで毎朝、昼、夕と「ひじき」汁が続き、主食は麦に黒いうどん片らしいものが混じった塩味のものではあったが、それまでがほとんど高粱食であったので大変おいしくいただけたと記されている。何といっても無事帰国し本土の土地を踏みしめることができたことが何よりの最高のご馳走であったことは言うまでもない。7月4日に到着した後も手続きで1日かかり、翌日午前10時ごろにやっと大竹桟橋に着いた。
その後N院長は岡山県で、父は京都にて診療所を開設することになる。その後も吉林同思会(むつみ会)では顔を合わせていたことは聞いているが、今は2人とも亡くなっている。
(おわり)
葫蘆島を出航した白竜丸の船底イメージ
(「引揚船」平和祈念展示資料館より著者描く)
参考文献
1、満洲の思い出 中島達二著 (1976.10.1)
2、実録満鉄調査部 上・下 草柳大蔵著 朝日文庫
(1999.7.20)
3、昭和史20の争点 秦 郁彦編 文春文庫
(2006.8.10)
4、凍てつく大地の歌 古川万太郎著 三省堂
(1984.8.15)
5、文芸春秋 されど、わが「満洲」 (1983.9.1)
6、されど、わが「満洲」 文芸春秋編 (1984.3.1)
7、満州国 虚構の国の彷徨 秋永芳郎著 光人社
(1991.3.19)
8、決定版写真集 望郷満洲 国書刊行会
(1979.11.15)
9、1億人の昭和史4空襲・敗戦・引揚 毎日新聞社
(1975.9.1)
【京都保険医新聞第2663号_2008年11月3日_4面】