「満洲国」からの引揚 満洲生まれのつぶやき(15)
木村 敏之(宇治久世)
所持品検査
老若男女およそ600人の一隊が永安台総合グラウンドに着いたのは午前7時過ぎであった。旧撫順炭鉱の完備された運動施設の中の陸上競技場で所持品検査が行われた。2時間ほど待って、等間隔に並び、前に自分の毛布を拡げ、まるで田舎のお祭り香具師のようにリュックの品を全て並べた。そのような暢気な状況ではないのだが、午前9時ごろ、一組(男3人、女1人)の検査官(全員中国人)がやってきた。
男性はまず口を開けよという、金歯の検査で、以前から入れたものかどうかの検査であろう。幸い没収は逃れたと書かれているが、金の総入れ歯の人は没収されたようだ。口の次は胸から服へと全てのポケットを探り、中を空っぽにされた。毛布の上の物品検査では、聴診器が2個は不必要といわれ(鬼塚式と高田式)、結局高田式は没収され、また医学書もドマルスの内科書とクレンペルの診断学であったが、クレンペルをあきらめるほかなかったとされている。
全く検査官と言っても、自分の欲しいものを探すのに鵜の目鷹の目で一生懸命であった。比較的アルバムなどは見逃されやすかったのであろうが、女の検査官は女性の持ち物でも貴金属(帯止め、髪の根どめ)、着物などを狙い、小生の母は春の色彩の着物を持っていたが、女検査官は自ら体にあわせてみたり、全く呉服屋で買い物をしているようだと、取られたことよりもその態度に怒りを覚えると書かれている。腹の立つことであるが戦いに負けたのだ。
いよいよ乗車だ!無蓋車だ!
検査場から貨物駅まで直線で1000mぐらいのところを、グネグネと重いリュックを背負って歩きながらプラットホームに着いた。ここは有刺鉄線で囲まれており、無蓋貨車が十数輌待っていた。姿は捕虜そのものである。油煙を防ぐため汗まみれで真っ黒になったタオルで顔を隠すものの女性達には恐怖であっただろうと記されている。
午前11時ごろ撫順駅を出発した貨物列車は6時間ほどかけて錦州に到着したのだが、その間の車上環境は全くプライベートの守れない理不尽なものであったことなどを、後で話されていた看護婦さんもあったとか。がまん、我慢。
無蓋車の座席配置=女性と子どもは内側に、
男性を外側にして50人以上が乗車(著者描く)
【京都保険医新聞第2659号_2008年10月6日_6面】