死んでたまるか 14 3年が経過して 垣田 さち子(西陣) アメリカ民主主義とテレビドラマ  PDF

 敗戦後10年もすると世の中も表面的には次第に落ち着いてきたのかもしれない。1940年代、50年代、60年代、70年代とざっと振り返ってみれば、今につながるいろいろなことが起こっていた。しかし敗戦後に生まれた団塊の私たちは、戦争で少なからず傷ついた親たちの期待を背負って元気に明るく育っていった。戦争を知らない子どもたちは怖いもの知らずで前向きだった。戦争による悲惨な貧困を経験し、少しの余裕に大喜びする親たちを冷ややかに見ていた。
 1956(昭和31)年度経済白書に登場した「もはや戦後ではない」の言葉はあちこちで使われ、佐藤首相も国会で使い、同調する人、反発する人それぞれに熱い主張があった。70年代になって、フィリピンで、グアムで残留日本兵が発見され「恥ずかしながら生きながらえて帰って参りました」の言葉は流行語になったりした。この時にもきちんとした戦争総括がなされていない。「封建テキー」と何度言ったか分からない。たくさんの課題が議論もないままこの一言で片付けられた。
 小学校高学年頃にはテレビが急速に普及し、番組も多く作られるようになってきていたが、アメリカのいろいろなドラマがたくさん放送され、どれも面白かった。「パパは何でも知っている」は夕方6時台に放送され予定して見た。父も通りすがりに立ってよく見ていた。ちょうど私の家族と同じくらいの年齢層の家族の物語で、娘の生活上の疑問にパパが優しく丁寧に答え、一緒にもめ事を解決していく。民主的な家庭の見本のように思え、真面目に見た。
 「ローハイド」は土曜日の10時からだったと思う。アメリカ西部を旅するカウボーイたちの物語だ。それぞれ個性的な彼らがさまざまな困難を乗り越えて牛を運んで行く。もめ事をみんなの話し合いで解決する基本姿勢に感心した。ウイッシュボーンというコックさんの存在は忘れられない。クリント・イーストウッドも出演していた。
 この2作品から受けた影響は大きかった。みんなで話し合って方針を決め、決めたことはみんなで守る。
 父は本当のところどう考えていたのか。話したい。教えてほしいことがいっぱいある。あれくらい強く「戦争はあかん」と言っていたのに。今のウクライナや世界をどう思うのか。じっくり話してみたいよ。

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