私のすすめるBOOK 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

明治初期の京都に来たヨンケル先生
日本に医学の種を蒔く

 わが母校関連のことで恐縮だが、本書は京都府立医科大学の学友会会報「青蓮会報」第193号の20頁(2022年9月30日)に、1990年に同校卒業の山崎裕人医師が自著発行および湯河原文学賞の受賞を記念して紹介・評釈した医学医療系歴史小説の1冊である。同校開設150周年記念祝賀に同期して発行され、私は会報の編集を担当した一員として編集後記で発行が大いに待たれると少し触れたので、学友会に贈呈されたその1冊をさっそく借用して読み始めた。
 京都府立医科大学は、その創成期、東山は粟田口の山裾に擁する青蓮院に京都療病院として開設され、その約50年後に大学への昇格を来した。
 明治5年9月、オーストリア生まれの医師で氏名はフェルディナント・アダルベルト・ヨンケル・フォン・ランゲグ氏、名字での呼び名でヨンケル先生が京都府初代のいわゆる西洋医学系お雇い外国人として着任し、当時の西洋医学での診療と医学生教育が開始された。すでにドイツ語を学んでいた万条房輔医学生がその下で、解剖学・病理学の講義進行の手伝いをしたり、臨床では産科手術やクロロホルム麻酔などを指導されたりもした。物語は、その後に大成したこの万条房輔医師の語り口で進んでいく。
 小説の始まりは、明治21年10月のある日、ドイツ留学帰りで軍医として陸軍大学校に就任する森林太郎こと森?外を祝賀しようと、その大先輩は東京医学校(後の東大医学部)出身の大御門不比人主催の祝宴に潜り込み、京都での思い出話にも花を咲かす展開となる。
 当時のわが国では、李東垣や朱丹渓らの金元医学から16世紀に、さらに曲直瀬道三により纏め直され、漢方的伝統的中国医療を乗り越えようとしていたところである。すでにギリシャ、アラビア、インド、ローマ帝国を経て、イギリス、フランス、オランダ、ドイツなどとの密な知識・技術の交流の網の目の中から得られていた進んだ当時の西洋医学のあり方、考え方を輸入して学び、研鑽・研究を継承して発展させ、進んだ医療による人民への福利向上が求められていたことがよく分かる(『医学の歴史』284~287頁他、梶田昭著、講談社学術文庫、2021年)。
 本書では、明治維新による天皇の東京行幸で公家一族および関連産業の東京移転による京都に没落的時代をもたらす危険が自覚され、療病院の創設はその脱却的発展を誘導するものでもあり、その経過がよく記載されている。何よりも、ヨンケル先生はかなりの医学教育者で解剖・病理解剖も自分でして見せ、また麻酔科、産婦人科他、外科的な技量の豊かな名医で、同じ公家出身で万条房輔と幼馴染で同級生となる安妙寺一久とが、西回りで日本に到着したヨンケル先生を大阪まで出迎え、「ワタシハ、コノ日本ニ、医学ノ種ヲ、蒔キニ来マシタ」とのあいさつの後、「ジョー」「ミョー」とニックネームまで付けてもらうのである。その後は、臨床・教育ともに波乱万丈の生活となり興味深く描かれる。ぜひご購読をお勧めする。

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