私の散策記 皇子達の運命―二上山を参詣して 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

 二上山は、奈良県はその西部、葛城市にあり、大阪府は太子町との境界部に位置している。北側は標高517mの雄岳と、その南側には馬の背を経て標高474mの雌岳へと続く。二神山と記書される場合もあるが、神の名は知らない。雄岳山頂の間際には、天武天皇の三男、大津皇子の墓所がある。次男で皇太子となった草壁皇子の競争相手と目され、皇太子の母であり自分の子孫・血統に皇位を継承させたいとする?野うの皇后、後の持統天皇から謀反の罪を着せられ処刑された(倉本一宏『皇子たちの悲劇 皇位継承の日本古代史』95頁、㈱KADOKAWA、20年1月27日、初版)。いわば皇位継承問題の犠牲者となったのである。辞世の歌では、「ももづたふ磐余いわれの池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」と24歳にして最早明日という時間のなくなった悔しさがひしひしと込められている。
 新型コロナウイルスまん延のため、飛行機も飛ばず、遠方への旅もままならず、この年末年始は近隣の散策旅行とし、近鉄奈良駅近傍の白鹿荘に1月2日から2泊宿をとり、3日二上山に登攀した。ほぼ予定通り、妻と次女との3人で、近鉄南大阪線の二上山駅で下車して上ノ池横登山口から雄岳に向かって皇子の墓所へと参詣し、雌岳にも立ち寄りその中間は馬の背から祐泉寺に降り、皇子の元の墓所とされる鳥谷口古墳に立ち寄り、傘堂を見て、當麻寺を参拝のうえ當麻寺中之坊の庭園を散策して、帰宿することとなった。
 このコースを考えたのは、母校を卒業した頃、NHKラジオ第2放送で、「歌は音楽です。声に出して歌いましょう」の犬養節で有名な、万葉集の和歌を、メロディを付けて広めようとした万葉歌音韻学者の犬養孝氏の講義で、大津皇子とその近親者の和歌と物語が紹介され、解説を聴いたことを長らく覚えていたからである。学生時代にも、一度2人で當麻寺にまで来て、にもかかわらず入山・参詣の記憶がなく、中将姫の織り成した根本曼荼羅から當麻曼荼羅が転写され、それが実は阿弥陀如来を主仏とする浄土教曼荼羅とも知らず、そのまま、大阪の四天王寺に移動したような記憶もあるなど、若き日は、最早忘却の遠き彼方に去りつつもある。
 2万5千分の1地図を購入して、コピーして眺めていたが、上ノ池横登山口が標高145mなので、頂上との差は372m、道も一般人向けハイキングコースとしてよく整備されており、ならば大したことはあるまいと高を括っていた。6合目ルートでは、移動距離がほぼ1.8㎞と短いことから、身体の高齢化による疲れも出たりしたが、意外に急斜面の登りであったからとも言えよう。また、天気もよく爽快で、登山口から墓所到着まで、5分間ずつ2~3回途中休憩を入れ1時間7分であったので、実際は大変楽な山登りであったはずである。大いにお勧めできるコースである。(22年6月15日記)

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