特集 出版編集委員による ご当地紹介  PDF

 出版編集委員が、地元地区を紹介する企画。第1弾は、吉村陽委員の地元、相楽地区を案内する。辻俊明委員(西陣)、宇田憲司委員(宇治久世)も同行した。

恭仁京跡(山城国分寺跡)
 聖武天皇は740年10月、平城京を離れ、伊賀・伊勢・美濃・近江などを行幸して、同年12月、恭仁宮(現、木津川市加茂町)に入り遷都を宣言しました。都としては5年と短く、謎も多いことから「幻の都」と呼ばれています。1957年7月に国の史跡に指定され、2007年2月には史跡名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」となりました。

木津川市立恭仁小学校
 恭仁京跡敷地内にある公立の小学校です。最近あまり見ない木造2階建ての校舎で、校舎内には職員室の鐘・木製窓とネジ締め鍵・板張りの廊下・階段など、建築された昭和11年当時の様子がそのまま残っているそうです。

医療機関
 笠置町には伊佐治医院(左上)、南山城村には竹澤内科小児科医院(右上)と、それぞれ医療機関は1軒です。和束町には三つの医療機関がありますが、柳沢活道ヶ丘診療所(右下)に寄り、柳澤衛先生とお会いしました。お土産までありがとうございます!
 加茂町の吉村医院(左下)でも記念撮影。

和束茶(お土産)

大井手用水路
 約800年前に作られた用水路が今も現役で使われています。1222年、海住山寺の慈心上人が和束川から水を引き、10数年かけて約7㎞の大農業用水路(大井手用水路)を造ったそうです。1953年、南山城大水害で一部損壊したものの、基本的な仕組みは変わることなく、大切な農業用水路だそうです。

海住山寺
 海住山の中腹、幽邃の地に海住山寺が創建されたのは、735年のことと伝えられています。現存の五重塔は、1214年に建てられたもので、特に心柱が初層で止められている点は建築史上有名。国宝に指定されています。

木津川

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