診察室 よもやま話2 第17回 飯田 泰啓(相楽) 晩酌  PDF

 以前から風邪をひいたときに来られるSさんが久しぶりに来院された。いつもは、比較的明るい中年の男性であるが、今日は憂鬱な顔つきである。
 「どうも最近、調子が悪くって。酒を飲んだらふらつくのです」
 「そりゃ、お酒に弱くなっただけじゃないのですか。飲みすぎでしょう」
 「そんなのじゃないです。なんか、ふわーとして。いまも待合室でおかしくなりました」
 なにか要領を得ない訴えである。
 「実は、昨年の12月に交通事故を起こしたのです。人身事故でなくて良かったのですが」
 「怪我はなかったのですか。その時に頭を打ちませんでしたか」
 「どうして事故をしたのか皆目分かりません」
 「事故の時の記憶がないのですか」
 「そうなのです。これまで、何度か自動車をぶつけています。でも、なぜぶつけたのか分からないのです」
 「それは、困ったものですね」
 「それで、T病院で検査するように勧められて受診したのです」
 「そうですか。それで検査を受けられたのですね」
 「いろいろな検査を受けたのですが、どこも悪いところはない。もうこれ以上の検査はないと言われたのです」
 T病院は当地区では有名で循環器では屈指の病院である。Sさんの話では、ホルター心電図、心臓超音波検査、トレッドミル負荷心電図、負荷心筋シンチグラフィなどを受けたようである。
 「どこも悪いところはないと言われても、絶対におかしいので違う目で診て下さい」
 いやはや、困ったものである。T病院の循環器内科でどうもないのなら、心臓には異常はなさそうである。私の出番ではない気がする。もしかすると、何度も自動車をぶつけているようなので、頭蓋内血種やてんかんも考えなければならないかも。もともと、精神的にも不安定で心配性のSさんなので、そちらの問題なのだろうか。
 「それでは診察しましょう。血圧は正常ですね…」
 その時である。Sさんが、いきなり抱きついてきたのである。
 おい、やめてくれ。若い女性ならいざ知らず。
 実は、抱きついたのではなかった。
 「Sさん、Sさん」
 呼んでみたが、返事がない。反射的に脈をみた。脈が触れない。意識がない。緊張の一瞬である。
 「ぼーっとしていました」
 やっと、意識がもどったようである。
 「とりあえず、そこのベッドに横になって下さい。心電図をとりましょう」
 心電図をとりだした。
 「また、おかしくなってきました」
 なんのことはない。発作性上室性頻拍ではないか。上室性頻拍発作での意識消失は初めての経験である。あとで、同じ医師会の循環器専門の先生に教えてもらったことなのだが、心拍数が200近くか、それ以上になると血圧が低下し、失神に至ってもおかしくないようである。
 それでも、目の前に意識のない患者がいる。何とかしなければならない。研修医の時に救急外来で習った知識しかないのだが、血管を確保して、心電図をモニターしながら、使い慣れた抗不整脈薬を静注し始めた。
 なんとか反応して洞調律に戻ってくれた。
 「先生、ようなってきましたわ」
 患者は発作をよく経験しているのか、余裕の表情である。それでも、洞調律になったかと思うとまた頻拍発作になって意識がなくなる。なんとか洞調律で安定させるのに30分かかってしまった。てんやわんやの外来になってしまった。
 専門医集団のT病院でも診断のつかなかった診断が町医者だからこそついた。それ見よとばかりに、大威張りでT病院に紹介状を書いた。あとで、もう一度精査しますと返事が来た。
 やっと、頻拍発作も出現しなくなったので投薬して帰宅させることにした。
 診察室を出るときのSさんの一言を今でも思い出す。
 「先生、どうも、ありがとうございました。ところで、今日は、晩酌してもいいですか」

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