死んでたまるか3 3年が経過して  PDF

垣田 さち子(西陣)

気持ち・心の問題

 一番気を付けたことは気持ち、心の問題だった。
 急性期は、複視、耳鳴り、左半身感覚麻痺などの多様な症状があり加齢とあいまって進行性で、まだまだ定まらない気がした。ほとんどベッドに寝ているしかない時期だった。それでも早期リハビリを目指して、リハ部門からセラピストが来てくれて関節可動域縮小、筋力低下等を防ぐためにストレッチ・筋トレ・運動指導をしてくれた。
 しかし、もともと心房細動(AF)・不整脈があり、約10年前にはアブレーションも受けているので、心血管系からして全身状態が安定しない。血圧が上がったり下がったり、脈拍がAFだったり、徐脈だったり。それでも座位・立位にトライしなければ。どんなに体幹の揺れ、眼振、目眩がひどくても。横になっていると、これらの症状は治まっているので有り難いのだが、ちょっとでも身体を起こすとクラクラとする。身体を起こすたびに症状がよりひどくなっている気がする。
 「寝たきりになんかならないぞ」がこの頃の唯一のスローガンだった。そのためには懸命にリハビリに励むこと。身体の不安定さがとれないので、ベテランのセラピストにリードされるのはうれしい。和歌山医大リハ科には研修医も多いので、彼等の目があるのは有り難い。娘には「隣が循環器と救急やし安心や」と言われた。
 午前・午後とみっちりリハプログラムをこなし、1日はどんどん過ぎて行く。毎日疲れ果て、寝入りも早かった。ものを考える時間もなかった。それが良かった。
 しかし数週間がたつと少し落ち着いたのか、考える時間ができてきた。8階のベッドからは太平洋の空が広がっているのが見える。いろいろなことが頭をよぎる。思い出しかけては、だめだめとストップする。胸を締め付ける悲しみが湧きあがり涙があふれてくる。もうあの小走りの歩き方はできない。ちょこちょこと動き回る忙しない日常は二度と戻って来ないだろう。
 「過去は振り返らない」。今とこれからを考えよう。大急ぎでテレビをつける。夜明け前なのにニュースが流れている。NHKの高瀬アナが若手のアナウンサーを束ねて解説している。
 冷静に過去を思い出すことができたのは3年経ってからだった。「今日死ぬのか、明日か」の間が遠のいたのかも。

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