新連載 死んでたまるか1 3年が経過して 垣田 さち子(西陣)  PDF

 本号より垣田さち子氏の「死んでたまるか 3年が経過して」の連載を開始します。現在連載中の「診察室よもやま話2」(飯田泰啓氏)の連載と交互の掲載となります。

今度は大腸憩室出血

 2018年の祇園祭の日に脳卒中を発症したものの、無事3年が経過した、と書きたいところだが、そうはいかなかった。再び救急車で搬送され緊急入院することになった。病名は「大腸憩室出血」だった。
 もう少しで“3年生存達成”やと嬉しく、その時までは順調に経過していた。
 血圧が120/60㎜Hg、血中脂質はほぼ正常。血糖値は徐々に増加し、体重は着実に増加するなど注意すべき問題はあったのだが、リハ中心の一日の時間配分もでき、リハのメニューも決まり、サポートして下さる方達も揃って、それなりに忙しいルーティンの毎日を過ごしていた。
 6月末のある日、変わったことも特になく、午前のリハをすませてお昼を食べトイレに行った。いつもと違う時間なのに、便意があった。しっかり出してしまいたいと気張ってしまった。何とも言えない脱力感。リハで鍛えて強くなった右手で、ぎゅっと特製手すりを握っているから座っていられるけれど、そうでなければ床に落ちていただろう。出せる限りの声で夫を呼んだ。すぐ近くにいてくれるので「どうした」と来てくれたところで、目の前が真っ白になり、分からなくなった。チラッと見た便器内は真赤だった。
 次に気がついたのは病院救急室のベッドの上、大腸ファイバーを受けていた。検査の結果、病変は何もない。というので結論は先述の通りになった。ありがたい。がんはないのだ。
 だけど、大量出血で急性貧血を来たし(Hb:7・5g)、歩けない。脳出血後遺症で左半身感覚麻痺があり、いまだ自立歩行はできない。セラピストの指導で毎日の歩行訓練を欠かさないようにしていた。右手で4点杖を使い左を支えてもらってリハ室を何周もした。日中は横になることはなく、車椅子生活で読み書きをこなし、少しずつ動ける行動範囲を広げつつあった。気分的にも軽くなり、前向きな視点で取り組める感覚が自覚できてきた。
 それなのに、予期しない急変で起き上がれなくなった。ふらつきがひどく、眼振、耳鳴りが悪化し、結局1週間入院した。
 「脳卒中の5年生存率:50%」は、良くなっているとは言うもののどうか? そもそも脳出血、脳梗塞で違うし、病変の位置、程度、年齢等で全然異なるし、簡単には論じられない。私の場合、橋動脈出血による脳幹部変性では、急性期生存率20~30%の論もある。よくぞ救命していただいたと、その幸運をいつも感謝している。風邪を引いたり、おなかをこわしたり、ましてやけがなどしないように、いつも注意していたのに、この入院のダメージは大きかった。
 「こうやってエピソードを重ねて弱って行くんですね」と報告したら「そうですよ」といとも軽やかな返事。そのあっさりめが大好きな主治医なのだけれど。

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