肛門科の徒然日記 8 渡邉 賢治(西陣)  PDF

江戸の試行錯誤が現代の治療に

 大岡忠相はどんな病状だったのでしょうか。恐らく、もともと持っていた内痔核の症状が悪化したのでしょう。内痔核から出血し、さらに血栓(血豆)が詰まってしまったために激痛となったと思われます。
 肛門の出口から約3㎝奥に、歯状線と言って肛門と直腸との境目となる部分があります。その少し直腸側に静脈が網の目になった静脈叢があり、内痔核はここの血液の流れが悪くなって静脈瘤になったものを言います。内痔核だけでは痛みはなく、排便時に出血したり、肛門部の違和感や、排便後もいつも便が残ったような残便感を感じたりします。また、病状が進むと排便時に内痔核が肛門外に出てきて押し込まなければなりません。
 内痔核の治療を決めるのに、イギリス人のゴリガーが4段階に分類したゴリガー内痔核分類という分類法を、私たちは使っています。第Ⅰ度は排便時の出血と肛門部の違和感。第Ⅱ度は出血以外に排便時に怒責すると内痔核が脱出してくるが、怒責を止めると自然に肛門内に戻る。第Ⅲ度は排便時に内痔核が脱出して押し込まなければ戻らない。第Ⅳ度は内痔核が脱出したままで戻らない。この間、内痔核だけでは痛みはありません。第Ⅲ度以上になりますと、手術やジオンという痔核硬化剤を使っての痔核硬化療法が必要になります。
 大岡忠相は、第Ⅱ度から第Ⅲ度程度の内痔核があったのではないかと想像します。そんな中、1月という寒さや、恐らく新年を迎えてさまざまな公務が立て込み、ストレスが重なっていたのでしょう。こういったことが原因となって、内痔核に血栓が詰まってしまったのでしょう。ストレスがかかると血液の流れが悪くなり、さらに、血小板がくっつきやすくなって、血栓ができやすくなってしまいます。
 余談ですが、ストレスが加わって血小板がくっつきやすくなった時、くっつきにくくしてくれるのがマグネシウムです。そうするとストレスがかかった時にマグネシウムを摂ればいいということになります。コーヒーやココアなどにはマグネシウムが含まれているので、こんな時はコーヒー、ココアを飲むといいということになります。コーヒーブレイクというのがありますが、理にかなっています。
 大岡忠相も忙しい公務の間にコーヒーなどを飲んでいればよかったのかなと思います。イメージ的には大岡忠相とコーヒー、なんかとても合う気がします。
 さて、江戸時代の肛門の病気に関してどのように治療していたのでしょうか?痔の歴史に関しての文献では、江戸時代初期には、杉山和一(1610年〜1694年)が書いた「療治之大概集」、「選鍼三要集」があり、脱肛や痔の項目があります。脱肛には百合、痔には腎愈・命門・長強・承山に灸を行っていたようです。
 もう少し時代が進み、華岡青洲(1760年〜1835年)の時代になると、本人が書いたものはないようですが、弟子たちが数多くの書物を残しています。その中の代表的なものの中に、「瘍科鎖言」は肛門科のことが詳しく書かれています。分離結紮法といって、内痔核に針で糸を通して、結紮して治す方法も書かれていて、この方法は現在でも使われています。また、華岡青洲の使用した軟膏は300種類以上あったとされています。この頃からの試行錯誤が現在の治療につながっているのだと思います。
 さて、大岡忠相が活躍していた頃の治療は、やはり灸が主体で、根治的な治療ではなかったので、苦労をしていたのだろうと思います。もう少し後の時代で、手術によって内痔核がすっきり治っていれば、「大岡裁き」はさらに鋭いものになっていたかもしれません。

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