肛門科の徒然日記 6 渡邉 賢治 (西陣)  PDF

痔核はナポレオンの運命を変えたか?

 6月12日ナポレオンはパリから進軍しました。6月16日にリニーの戦いでナポレオンはプロイセン軍と戦い、死者1万6000人の損害を与えましたが、完全な撃滅には至らなかったようです。
 ナポレオン自身も疲れが出て、すぐにプロイセン軍を追撃しなかったとのことですが、「記録」が正しければこの頃から肛門の状態が悪くなり、強い痛みが出ていたと思います。
 この痛みが影響してかはわかりませんが、ナポレオンは誤った判断をして、翌朝クルーシー元帥に3万の別動隊を与えて、プロイセン軍に向け進撃させました。ナポレオンはイギリス・オランダ連合軍がプロイセン軍と合流する前に倒すために、6月17日の夕方7時の激しい雨の中をモン・サン・シャンの南のブランスノワに向かいました。おそらくナポレオンの肖像画にみられるように、移動は馬だったと思います。激しい雨の中、馬に乗っての移動、肛門の痛みはさらに増していったのではないかと想像します。
 6月18日、ワーテルローの戦いの当日、前夜からの雨のため地面はぬかるみ、大砲の動きがとれないと判断したナポレオンは、部下の進言を退けて戦闘開始の時間を昼まで延期しました。このことは、プロイセン軍の援軍を待つイギリス・オランダ連合軍に有利に働きました。この頃のナポレオンは、気力と判断力に往年の冴がなかったとのことです。
 おそらく、激しい雨の中、馬での移動によって肛門の状態が悪くなり、痛みも強くなっていたのでしょう。人間には痛みを感じる時間帯があり、特に夜中から朝方に痛みを感じます。このような様々な要因が重なって、判断力を鈍らせたのではないかと思います。激しい痛みは集中力を奪ってしまいます。
 ナポレオンはこのワーテルローの戦いに敗れて、百日天下が終わっていきます。
 ナポレオンを襲った肛門の痛みが、どんなふうに戦いに影響したのか? もしこんなことにならなかったら歴史はどうなっていたのか? などを想像するのは面白いと思います。でも、このことだけで歴史は変わりません。誰にも変えることのできない大きな歴史の流れがあったのでしょう。
 さて、皇帝ナポレオンの軍団の紋章はスイートバイオレットです。スイートバイオレットは「愛の証」「永遠の愛、思いやり」の象徴です。ナポレオンは王妃ジョセフィヌとの結婚記念日にこの花束を贈っていたようです。ワインに入れたり、香水にしたりもするようです。鎮静作用もあり、精神的な疲労にも効きます。
 肛門科医の視点から言えば、スイートバイオレットの葉は便秘に効く緩下剤にもなるようです。

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