鈍考急考 22 原 昌平(ジャーナリスト)  PDF

家族・親族に代行判断権はあるか?

 手術やリスクを伴う検査の前には同意書をもらう。患者本人とともに、あるいは本人の代わりに、家族・親族にサインしてもらう――。
 医療現場で当たり前のように行われていることだ。
 しかし、何の目的で家族・親族に同意を求めるのか、法的にどんな意味を持つのか、どうしても必要なことか、検討したことはあるだろうか。
 インフォームド・コンセントの原則は当然として、本人に判断能力が十分あるなら、本人が決めればよいことだ。
 本人の意思決定がしっかりしていれば、親族の同意の有無は、医療側の民事責任、刑事責任に関係しない。
 念のために親族の意思も確かめ、後から紛争になるのを防ぐという事実上の効果を期待するもので、法的にも倫理的にも必須ではない。
 生命の危機など緊急性があるときは、本人・親族の同意がなくても治療は許される。民法上は契約によらない事務管理、刑法上は正当業務または緊急避難と解釈される。
 本人の判断能力が足りないときはどうか。意識不明、知的障害、精神障害、認知症、子ども、終末期など様々なケースがある。重要な法律行為を決める能力がなくても、自分が医療を受けるかどうかなら判断できることは多い。
 それも無理なとき、本人の医療を親族が代わりに決められるかというと、法的にも倫理学的にも、支えは乏しい。
 身体や精神という本人自身のことを、他人が代わりに判断してよいと言える論拠がはっきりしないからだ。
 今どき、医療側だけの判断で手術やリスクを伴う投薬をするのは怖い。だから責任を問われないよう親族の同意を得るわけだが、親族に代行判断権があるとは言いがたい。
 成年後見人は、本人のために受診や入院の契約はできるけれど、医療行為の同意権は認められていない。
 未成年者の場合、親権者の同意は法的に意味があるだろう。ただしネグレクトを含む虐待の可能性は存在する。
 家族・親族と言っても関係性や心情は様々だ。生活の状況、過去の経緯、言動などから心情を見極めないといけない。相続、介護負担、年金といった利害もありうる。
 厚労省の「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」は、まず本人の意思、それが難しい状態なら本人の推定意思、それも無理なら本人の最善の利益について、医療・ケアチームと家族等がよく話し合って判断するという考え方だ。
 本人の考え方の理解、本人のためを思うことを家族等に期待している。だが、代行判断は認めていない。
 本人の意思で誰かに医療判断をゆだねる契約を結んでいれば法的にはわかりやすいが、日本では一般的でない。
 いちばん困るのは、緊急性はないけれど、医学的に見て手術をしたほうがよく、本人に判断能力がない場合。しかも身寄りがいない、親族の同意が得られないというケースが現実にしばしばある。
 使えるとすれば施設の倫理委員会の承認だが、機動性が足りない。家族・親族に頼らなくて済むよう、公的審査機関が必要ではなかろうか。

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