続 私の閉院後生活5 野々下 靖子(乙訓)  PDF

地域の人たちと助け助けられ

 京都では当時京大に在籍されていた武地一先生が認知症カフェ連絡会京都という会を運営されていて、私もそこの会員として加わり学んでいました。2000年のあたり、守山市の藤本クリニックの藤本直規医師、奥村典子さんたちとの交流から、「もの忘れカフェ」の話を聞き見学しました。私も将来、このような認知症当事者が参加し、企画にもかかわる活動をしたいと憧れていました。この話を野々下医院の軽度認知症の人たちに何度も伝えていました。
 2015年のお正月が過ぎたころ、80歳で野々下医院は閉めると宣言しました。「80歳まで働いたんやから、閉めるの堪忍したるワ!」「せやけど、この部屋(診察室)どうするねん」「ここにみんなで集まって遊ぼ」。ご近所の人々、この中には軽度認知症の方も含まれていますが、この人たちの意見で、ほぼ決まりでした。15年3月閉院、9月「けやきの家(認知症カフェ)」開業。
 カフェを開いている時は誰が認知症当事者で誰がボランティアなのかわからない状態です。認知症の初期であっても、自身のできることは自身でというのが「カフェけやき」の方針。見守ったり、口を出したりはしますが、手は出しません。逆に私が困っていると当事者さんが助け手となって私を励ましてくれます。
 実は今、認知症初期の人がボランティア側として参加しています。本人は気が付いていませんが、奥さんは気づいています。野々下医院はもう閉院してしまったので、診察は他の医院で受けてもらわなければなりません。それをどうしようかと今、相談しているところです。
 また、別のボランティアの男性の奥さんは、重度の認知症でした。本来「カフェけやき」では重度の人は受け入れていないのですが、他の施設に行った時は笑顔が出ないのに、ここに来たときは笑顔になるからと頼み込まれました。少し前に他界され、男性は介護家族を卒業。しばらくお付き合いが途絶えましたが、ある日「ボランティアをさせて下さい」と言われ、以来、「カフェけやき」の重要なボランティアメンバーです。思い返せば、こうした人の縁が根っこになり、太い幹になり、枝々で花を咲かせているような気がします。自治会の防災は最近始まったばかりなので深い付き合いがあるというわけではないですが、「みまもるone」の防災訓練のアイデアを活かし、今後自治会を含めたこの地域の防災システムが生まれ、楽しみながら動いていくことを願っています。
 2015年から6年。私も86歳になりました。体調を崩してカフェに出られない時もありましたが、カフェに参加されている患者さんに「無理するからや」と叱られたり、発破をかけられたりしました。まだまだ元気に走り回れということだと受け取り、今日もあっちに顔を出し、こっちに顔を出しと過ごしています。働き盛りの時のスピードはもちろんありませんが、地域の仲間たちと助け助けられの関係でいろいろなことに取り組んでいきたいと思っています。
(完)

ページの先頭へ