憲法を考えるために 65  PDF

新型コロナと憲法

 コロナは市民の生命のみならず、憲法の保障する市民の権利をも脅かす。
 「13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、(中略)差別されない。21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。29条 財産権は、これを侵してはならない。②(中略)③私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」
 13条を個人の尊重、幸福にそして自由に生存する権利ととらえるとき、感染拡大を防ぐための規制か、あるいは自由かという二者択一の議論だけでは解決策は見えてこないのではないだろうか。では何をどうすべきなのか?
 14条の差別は国連も警告するように危機を感じたときに不安が生みだす、あるいは不安を拡大させるものと思われるが、日本においてもコロナに罹患した人とその近辺の人への差別が、さらにはコロナにかこつけた差別が広がっている。我々自身の問題としてとらえる必要があろう。
 21条の表現の自由については、感染が拡大する時の集会の自粛はやむを得ないとしても、大切な社会問題に対する集会やデモができないことでの意思表示の弱体化や、社会や政治を批判しているときかという言論押さえ込みに通じる危険にも注意を払う必要があろう。
 25条の生存権とその侵害は、特に医療を受けるもの、医療を提供するものにとっては深刻な問題である。社会保障・医療保障の構造的弱体化を引き起こしている問題から、コロナ対応検査、コロナ対応機材の不足までがコロナ渦で明らかになり、その対策は喫緊のそして根源的な課題である。
 29条の財産権としての営業権が、感染拡大抑制のために営業不可になったり、あるいは制限されたり、またそれに伴って失業などに追い込まれた人はその損失補填を憲法が命じているということであろう。
(政策部会・飯田 哲夫)

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