診察室 よもやま話 第22回 病診連携 飯田 泰啓(相楽)  PDF

 寒い冬のことである。夜の診察も終わり、ほっとした頃、薬を待っている患者さんが待合室でざわめいている。
 「玄関で寝ている人がいる」
 「酔っ払いが玄関をふさいで通れない」
 待合室で患者さんが話をしているのが聞こえてくる。どうも診療所の玄関で誰かが寝ているので、診察の終わった患者さんが帰れないようである。
 どんな酔っ払いが玄関で寝転んでいるのかと身構えながら、恐る恐る玄関に行った。玄関先には自転車が放置されていて、そこには作業服姿で寝転んでいる人がいる。五十歳過ぎの男性の手には保険証が握り締められている。酔っ払って寝ているにしては様子が変である。自転車で来院して、診療所の玄関先でばったりと倒れこんだ様子である。
 「こんなところで、どうしましたか」
 揺すってみたが応答がない。単に酔っ払っているのではない。意識がなく、倒れているのである。
 寒い玄関先に横たえておくわけにはいかない。待合室の患者さんに手伝ってもらって、診察室に引き込んだ。
 呼吸はあるものの、いつ止まるとも分からない不規則な呼吸状態である。
 「点滴の用意をして、そうそうエラスタ針を使うから」
 血圧は測定できて、心電図では不整脈はない。
 家族との連絡もついていない状態では、なんとかしなければならない。
 「おーい、救急セットを出してきて」
 「久しぶりに挿管するぞ」
 「酸素も持ってきて」
 一人で騒いでいるものの、悲しいかな開業医では、病院で救急外来をしていた頃のようにスタッフは慣れていない。ほとんどの準備をひとりでしなければならない。それにしても、挿管セット、アンビュバッグなど、いつ使うかもしれない救急セットを用意しておいてよかった。
 とにかく、挿管して血管確保して救急搬送できる体制になった。これから、どこへ搬送するかが問題である。
 近くの病院に電話を掛けて当直の先生にお願いしたのだが、専門外でベッドがないとのことで断られてしまった。おそらくはくも膜下出血だろうから脳外科のない病院に迷惑をかけてはいけないという気持ちが頭をよぎる。気を取り戻して、隣県の救急救命センターに電話をした。受付のぶっきらぼうな対応にも、ここで腹を立ててはいけないと、ぐっと押さえて丁重にお願いしてなんとか引き受けてもらった。
 救急車に同乗して、途中で呼吸停止、心停止が来ないかと気を揉みながら、なじみの薄い救急救命センターに到着した。
 急いでストレッチャを押して部屋に入ろうとすると事務が呼び止めた。
 「ここから中へ入っては駄目です」
 「紹介状を渡したいのですが」
 「じゃあ、折角だから預かっておきましょうか」
 しばらくして、現れた若い医者が切り出した言葉を今も鮮明に記憶している。
 「CTを見せて下さい」
 「………」
 「どうしてCTも撮ってないのですか」
 この救急救命センターからは、その後、何の報告もなく、この患者さんがどうなったのか長い間、気がかりであった。数年して知り合いという方が診察に来られた折に、患者さんは手術を受けて回復され、今も元気にしておられることを知った。駆けつけてこられたご家族に、帰りのタクシー代をお貸ししたことも忘れられない。
 寒い季節のこと、もし来院の途中で倒れていたら生命はなかった。診療所の玄関先にたどり着いて、ばったりと倒れこんだのが不幸中の幸いであった。ほんのタッチの差で運命がかわる人生の恐ろしさを痛感した。
 その後、近隣の病院にも脳外科が開設された。最近、さらに一例のくも膜下出血患者さんを経験したが、この患者さんは気持ちよく引き受けてもらえた。寒い夜中に隣県の救急救命センターに搬送しながら、そこで随分と嫌な思いをさせられた記憶が残っているだけに、地域完結型の医療ができることが嬉しかった。
(完)

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