死んでたまるか7 ただいま、リハビリ奮戦中 垣田 さち子(西陣)7 急性期リハがスタート  PDF

 和歌山県立医科大学附属病院での初診が終わるとすぐに担当のPTとOTが現れ、身体機能のチェック。お二人とも和医大同門会でご一緒したことがあり嬉しい人選だった。吐き気や体幹動揺、不整脈などリハ上の課題を確認した。左半身感覚失調で運動の制御ができず座れないし、もちろん立てない。不随意運動も激しい。ものが三つ四つに見えるくらいの複視もあった。端座位を試してみたが、ベッドからずるずると滑り落ちる状態だった。
 翌日からリハビリ開始。筋力を落とさないことと身体を支える右手右足の筋力アップを目標に、激しい筋力トレーニングが始まった。リハ室に入ると田島先生が「高齢でも重症でもありません」とおっしゃった意味がよくわかった。80歳や90歳、100歳に近い患者さんも一杯おられた。病態もさまざまだ。この状態でリハ?と私がびっくりするような方も。しかし皆さん、それは楽しそうに嬉しそうに運動されている。救命できればよしとする医療ではだめなんだと実感した。人は動いてなんぼ。動けることの心地よさを尊重する医療であるべきとの思いを強くした。
 私はこの頃発症3週目で、全身状態も不安定だった。少し動くと不整脈が出たり血圧が乱高下した。心電図モニターを装着してチェックしながら休み休み動くことになる。この病院では、リハ室の両隣に循環器と救急部門が配置されている。「せやし、安心やで」と、娘は言う。私のようにモニターをつけている人が5人もいると「ピッピッ」と賑やかである。異常音が響くと5、6人のドクターが素早く画面の前に集結していた。スタッフは少しでも問題があるとすぐ医師に相談し、また医師は心電図などを見ながら目配りを怠らない。潤沢に医療スタッフが配置されていることが、何よりも安心だった。和医大リハ室は人があふれ、活気に満ちていた。
 京都を離れ、病室に1人で臥床している時間が増えてきた。8階の窓いっぱいに和歌浦に連なる海岸風景が広がっているはずだ。高校生の時に、海を見ようと他に何の目的もなく数人で連れ立って汽車に乗って来たことを思い出した。終日雨が降っていた。傘を差してただ海を眺めた以外何もなかった。だけど私は元気だった。言いようのない喪失感に打ちのめされる。

* 近況ご報告 *
 この連載を掲載させていただきましたところ、多くの方から励ましの声をいただきました。ご心配いただきありがとうございます。お返事を差し上げたいのですが、失礼しています。
 2020年3月18日現在、車椅子で自宅療養中です。毎日通所リハに通い、優秀なPT、OTの個別指導を受けつつマシンを駆使して体力づくりに励んでいます。体幹動揺、左半身感覚脱失があり、眼振、左上・下肢の不随意運動がとれず不安定な状態が続いています。1人では生活できない現実に日々挑戦しています。耳鳴りがましになり、発語もまずまずで日常会話はなんとかこなしています。協会の理事会にも、テレビ会議ではありますが参加しています。
 今の目標は自力歩行です。まだまだ課題は多いですが、一つずつゆっくりでも乗り越えていきたいと思います。

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