診察室 よもやま話 第13回 飯田 泰啓(相楽) 最期は自宅で  PDF

 午前の診察中に、地元病院の地域医療連携室の相談員から電話がかかってきた。
 「今日、救急外来を受診した患者さんのことですが、先生に往診をお願いできないでしょうか」
 「はあ、私の知っている患者さんですか」
 「先生のよくご存じの患者さんです。ご主人がMだと言えば分かるとのことです」
 「ああ、Mさんですか。で、今、どういう状態なのですか」
 「意識がなくって、もう危篤状態です」
 「はあ、そのような患者さんを家に帰すのですか」
 「担当医がもう危篤だと説明すると、家族が自宅の布団の上で看取ってやりたいとおっしゃるのです」
 Mさんとは長い付き合いである。自宅の布団の上で看取ってやりたいと言われると、無下に断るわけにはいかない。
 午前中の診察を終えるや、病院に急いだ。
 八十歳台半ばのMさんとは、古くからの顔なじみである。五年前にクモ膜下出血に罹患された。その状態からは回復されたものの、二年前に脳塞栓を起こされ、回復期リハビリ病院を経て、老健施設に入所されていた。
 おおよその状況は、通院中のMさんのご主人から折にふれて伺っていた。
 病院の救急外来では、Mさんのご主人と娘さんが待っておられた。
 「先生、よう来てもらえました。もう、ダメだと言われて。それなら家に帰してやろうと思ったのです」
 「そうですか。老健に入所されていたのでしょ」
 「一カ月前に老健で具合が悪くなって、この病院に入院したのです」
 「でも、今朝、老健から救急外来を受診したって聞きましたが」
 「一昨日、病院を退院して老健に戻ったばかりなのですが、また逆戻りです」
 「そうですか」
 「今度は、もうダメだって言われたのです。それなら自宅の布団の上で看取ってやろうと決めたのです」
 「………」
 「往診してもらえる先生がないと、家に帰せないと言われるのです。お願いします」
 老健に入所していたのだが、食事や水分摂取ができなくなった。尿も出なくなったため、入院させて回復させた。しかし長期入院が難しい昨今の医療事情のためか、一カ月で退院させて老健に戻したものの、退院の翌日から39℃台の発熱があって意識もなくなり救急外来に搬送されたようである。
 救急外来の奥に並んだベッドのひとつには、昔とは打って変わって痩せたMさんの姿があった。装着されているモニターを見ると血圧は下がり、動脈血酸素飽和度も80%台になっていた。長く保っても一~二日と考えられる。
 「先生、お待ちしていました。助けて下さい」
 若い担当医の嘆願である。
 「どうしても、連れて帰るとおっしゃるのです。情報提供書が必要ですか」
 「もう分かったから、そのコンピュータの画面を印刷してくれればいいよ」
 「助かりました」
 早速に、日頃からお願いしている訪問看護に連絡して、在宅診療体制を整えてもらった。そして、移動の途中で亡くなっても困るので、早速に寝台車で自宅に搬送してもらった。
 夜診の後で、通院されておられた頃のMさんのことを思いだしながら、初めての田んぼ道を往診に向かった。
 「この二年間は、ほとんど寝たきり状態で、俺のことも分からないようでした。何年も病院ばかりで家にはおらんかった。先生には迷惑やと思ったけど、最期は家に帰してやりたいと思ったのです」
 「そうでしょうね」
 「かわいそうやけど、こうなったら、次はどこに『ほかす』かを考えなあかん。実につまらんもんやな」
 ご主人の達観したコメントには、どう答えてよいか分からなかった。
 そして、深夜になって、Mさんが息を引き取られたと報告があった。
 最期は自宅で迎えさせてやりたいと思う家族の気持ちはよく分かる。それを手助けするのもかかりつけ医の役目なのかもしれない。

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