★エッセイ いささか旧聞に属するが 鞭 煕(舞鶴)  PDF

 「やすらぎの刻」を見ていたら、梅宮辰夫扮する石坂浩二の父の幽霊が、幽界のテレビ視聴率一位が「ポツンと一軒家」で「やすらぎの刻」が2番目だと言うのを見て大爆笑した。確かに我々同年輩の友人間の話のタネとしてこの二つは間違いなくマストアイテムである。その「ポツンと一軒家」に山梨県の七面山の敬慎院という寺院が出ていた。七面山というのはどこかで聞いたことがあると思いながら見ていたところ、七面の池、七面大明神というところで思い出した。そうだ、これは葛飾北斎の「七面大明神応現図」の場所だ。北斎は生涯熱心な日蓮宗信者であったようで、説法する日蓮と竜神とを描いた晩年の北斎の畢生の大作であり立派な絵だと思う。大学の先生ならさしずめ生涯のほぼ終わりに近い時点でこの一幅の絵によって自己の信仰を絵画表現として昇華させたとでも言うところだろう。これは大阪で見た。
 あの時の北斎展は(ブリューゲルのバベルの塔展とはしごしたのだが)実に見ごたえのあるものだった。入ってしばらくするとブリューゲルなどはどこかに消しとんでしまっていた。一人の画家の画業を時間を追ってみていくというのは作家の生きざまを追体験することでもある。北斎は「富嶽三十六景」ののちも、あの波頭が富士山頂を目指すごとく大きくうねりつつ上昇している。晩年のフォーレ(私は妙なことを言っているのだろうか)のようだ。老年の明るい叡智、いやそれだけではない。年老いていくこととともに在る生命の燃えるような激しさの中の高まりといえばよいのだろうか。最後の部屋で「七面大明神応現図」に圧倒され、そしてその2年後に描かれた「雪中虎」に目を移したその瞬間、突然私の目から涙があふれて止まらなくなった。絵を見て泣く、こんなことは生まれて初めてだった。私は混乱して訳が分からなくなった。でもなぜかうれしかった。そして多分―しあわせだった。あれは感動?
 雪の降りしきる中、虎は天を見上げ喜々として戯れている。空を飛んでいるようだ。そして顔はまるで微笑んでいるようだ。そうか、彼はついに解き放たれて自然の中の点景となり宇宙と一体となったのだ。これはジェラシー?
 たとえ、人が傷つき苦悩しながらも人生を生き続け努力を続けることによって、その結果として獲得できるまたは到達できる自由で平穏な場所は、きっとあるのだろう。私のようなものでも、少なくともそういう希望を持つことはできるような気がする。

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