死んでたまるか 3 ただいまリハビリ奮戦中 垣田 さち子(西陣)  PDF

臨死体験?

 意識していなくても、やはり日本人は仏教なのだ。お釈迦様が涅槃に入るとき、一切の生類が悲しみながら見守る涅槃図にあるように、家族・親族・友人・知人に見守られ一生を終えるという日本の文化は素晴らしい。しかし一方で、国が高齢者の終末期を家族に丸投げしようとしていることは腹立たしい。こうした文化を育んでいくための家族の土壌を壊したのは政治だ。にもかかわらず、高齢者の最期は家族に看てもらおうなどと時代の変化も分からないで、公的責任の放棄以外の何物でもない。
 幻視も体験した。今度は自分の身体から黒い影が立ち上り、私の視点は黒い影へと移って病室を歩いていく。はては自宅にまで戻りお茶を飲んだりしていた。今、こんなことしてて大丈夫かしら。病状が安定もしていないのに、病室でおとなしく寝ていたほうがいいのではと思いながら。
 その頃病室では、搬送直後に担当医から気管切開し人工呼吸器を装着しようと提案されていた。家族は「PaO2が90あり、現時点で必要ないのではないか。人工呼吸器をつけてしまうと寝たきりになってしまうので、今は経過を見守りたい」と担当医に伝えてくれていたらしい。担当医としては、まず患者を生かすために、より安全な選択をと考える。当たり前のことだろう。私の場合は、家族全員が医師だったので、責任を持って治療の選択を決断できたが、一般の患者さんはこのまま寝たきりになってしまうことも多いだろう。ぎりぎりの選択の難しさを実感した。
 記憶の走馬燈についても触れておきたい。
 おかしなことに自分で「時系列で見ましょう」と指揮をとったら、小さいころからの記憶が走馬燈のように流れ出した。人の脳はすごい。写真を見るかのように鮮明。このとき私の後ろでは誰と誰が何をしていたとか、このときに机に載っていたものはこれだったなどと、詳細にインプットされている。普段は脳の中に畳まれている記憶がわっと溢れ出したのだ。人間って本当にすごい。
 この記憶のフラッシュバックで、私は幼少の頃多くの人から愛情を注いでもらっていたんだと再認識した。団塊の世代は待望の子どもたちだった。新しい民主日本の担い手として、希望の星だった。最近巷では児童虐待のニュースが後を絶たないが、特に就学前に親や周りの大人から愛情を注いでもらったという思いが自己肯定感につながり、他者への愛を育む。
 「これは誰かに伝えなあかん」。そう強く思えたことが生還につながったのかもしれない。

当時の筆者のCT画像

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