死んでたまるか 2 ただいま、リハビリ奮戦中 垣田 さち子(西陣)  PDF

これでおしまい?!

 私が脳幹出血を発症してから京都駅前の武田病院に搬送されるまで約20分。ほとんど覚えていないが、山鉾巡行で市内に交通規制がかかっている中、救急車が爆走したそうだ。
 発症直後は脳梗塞だと思った。10年ほど前にアブレーション治療を受けたこともあり、脳梗塞のリスクが高い。毎日の血圧、血糖値を測定。定期的に血液検査も行っていた。毎日降圧剤を飲んでいたが、6月に入り収縮期血圧が120以下、拡張期血圧も60を下回る日が続き、いったん降圧剤を中止した。血糖降下薬も服用していたが、7月に入り200を超える日が数日あり、対策を考えていたところだった。高脂血症は、メバロチン服用で正常値。コントロール下と思っていた。問題は肥満と運動不足だ。一つずつがおおよそ許容範囲だったので、ついつい甘くなった。複合的にリスクを考えるのが定説になっているのに、まあ大丈夫だろうと思っていた。
 ICUに入って3日間は意識がなく、JCS300だった。意識が戻ったあとに入院先のスタッフから「深昏睡のときは何も考えていないんですか」「覚えていないんですか」と、よく質問を受けた。出血したのは脳幹部、大脳は健在だった。
 身体は死んだように動かないが、とぎれとぎれではありつつも思考は活発だった。まず、「えらいことになったわ」「これで死んでしまうんやろうか」「私、何も悪いことしてないと思うのに」。神様はどうしてこんな試練を課されるのでしょうかという問いだ。そういえばキリストがゴルゴダの丘で磔刑に処されるときに「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と言われたな、とまで思いを巡らせていた。このキリスト教の過酷さにはついていけない、なんてことも。
 ICUに入った日の夜、家族全員が病室に集まったこともわかり、「ああ、最期のお別れにきたんやな」と妙に冷静に思った。弟夫婦が病室にきたことも、会話の内容もよく覚えている。
 実際、あれだけ誤嚥しないようにと気をつけてもらったにもかかわらず、搬送時の私の両肺は真っ白だった。息子は画像をみて、この肺では助からないと考え、家族に「覚悟しておくように」と伝えたようだ。

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