新連載 死んでたまるか ただいま、リハビリ奮戦中 1 垣田 さち子(西陣)  PDF

 本号より垣田さち子氏の闘病記となる新連載を開始します。現在連載中の「診察室よもやま話」(飯田泰啓氏)の連載と交互の掲載となりますので、ご了承下さい。

祇園祭の日

 私が脳幹部出血を発症したのは2018年7月17日、祇園祭の山鉾巡行が行われている最中だった。前々日15日は日曜日、前日は海の日の祝日で、チェコのプラハから戻ったばかりの息子夫婦と一緒に京都府北部の夕日ヶ浦温泉へ小旅行に出かけ、上げ膳据え膳のおもてなしと温泉でゆっくり羽を伸ばしてきたところだった。
 どこの医療機関もそうだと思うが、祝日明けは忙しい。事務作業には追われるし、その上この週末は協会の定期総会。準備もしなくてはならない。前日から一転して朝からバタバタと動いていた。また以前より、当院に通院している患者さんから国民年金がカットされたとの相談を受けて、日本年金機構上京年金事務所などとやりとりをしており、その日は患者さんと打ち合わせをする日でもあった。楽しい話ではなく、気が重かった。
 そんな中、家事手伝いに来てもらっているPさんが、キッチンの大きい引き出しが開かないと訴えてきた。多少イライラしていたこともあって、ああしろ、こうしろと言うより自分でやったほうが早いと、重たい引き出しを目一杯力を入れて引き抜いたとき、頭の中に雷マークが走った。視点が合わなくなって気持ち悪くなり、吐き気を催してその場で吐いてしまった。尾籠な話で申し訳ないが、吐しゃ物を見ると朝食べた人参などがそのままで、「あれ、おかしいな。消化していない」と思ったことを覚えている。とにかく午前の診療中だった夫を呼んでもらい、誤嚥してはいけないとそればかりを気にしていた。すぐに到着した救急車に乗せられ、バタンとドアが閉められたあたりで意識を失った。

家人の視点
 7月17日、祇園祭の巡行の最中、朝10時20分ごろ、いつものように診察室にいると、突然電話連絡が入った。「さち子先生が変です!」。台所にいたお手伝いさんからの電話だった。
 すぐに台所に行くと、お手伝いさんの腕をシッカリ掴み意識が消えゆく中で力を込めて立っていた。この間、数分で意識が消えゆき、嘔吐がはじまり、そして左項部にかけて軽い頭痛を訴え、すぐに意識が完全に消えてしまった。この間、嘔吐が激しく、誤嚥しないように吐物を吐かせるとともに、救急搬送を行った。この、吐しゃ物が肺に入らないように細心の注意をはかることが、のちの救命には大変重要なことであった。うかつに仰臥位をとらせて吐しゃ物を誤嚥させれば、それですべての状況は最悪となる。発症からの刻々と変化する病態に応じて対処することが、救命救急にはとても大切なことである。
 幸い、長男(循環器内科医)が病院勤務で、すぐに救急処置にあたってくれた。約2日半のDeep Comaの後、意識が戻ってくると、高次脳機能は何とか保たれていたものの、視覚障害、聴覚障害、構音障害、左を中心に上下肢運動麻痺、不随意運動などなど、大変な状況が現れていた。
 (聞き取り 事務局・二橋 芙紗子)

筆者プロフィール
1948年、京都府生まれ。
垣田医院通所リハビリテーション所長、内科医。前京都府保険医協会理事長。

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