新連載 診察室よもやま話 第1回 飯田 泰啓(相楽) 老人の特権  PDF

 休日の朝、留守番電話に様子がおかしいので診てほしいとのメッセージが吹き込まれた。この数年、往診している寝たきりのUさんである。訪問看護ステーションからも連絡があり、口を開けたままで、塞がらないという。なにか要領を得ない。
 もともと、頑固者で通したUさんは、家族で米寿を祝った頃から、膝が痛いと言って立ち上がることをしなくなった。次第に起き上がることもしなくなり、食事も自分でしなくなった。
 いわゆる寝たきり老人である。こんなとき医師の出番は少ないので、訪問看護やショートステイを用いて在宅ケアをしてきた。
 往診に行くたびに、四肢の硬直がひどくなっている。老化の過程は子どもの発達と逆方向に進むとはよく言ったもので、子宮の中にいる体勢のように、下肢も胸につくまで曲がって、両上肢も胸にしっかりとくっついて伸びない。なんとか伸ばしてやろうとするが、少しでも触れようものなら痛い痛いと大騒ぎである。家族も怖がって手足を動かさないものだから、衣類を着替えさせるのも一苦労である。
 それでも往診に行くと
 「おおきに」
といって、愛想をする。
 「少し、手足を動かさなくてはいけません。痛いですが、我慢して下さい」
 「イタ、タッタタ」
 まるで拷問である。ここまで、嫌がられてもリハビリをしなければならないものだろうか。
 「なにか食べたいものはありますか?」
 「玉子焼き、お寿司」
 「おばあちゃんは、いつもこうなんです。今日も朝から、ほとんど食べないのに玉子焼きだけは食べました」
 ほとほと、強情さに閉口している嫁である。
 息子夫婦が介護をしているが、夜間でもすぐに呼びつけるので、月に一度のショートステイになると、ほっとする様子である。
 「あちらでの泊まりはどうでしたか。また行きましょうね」
 「……」
 面白くないことがあると、すぐに聞こえないふりをする。
 ショートステイでも夜間にしょっちゅう呼ぶので嫌われているという。
 今朝の留守番電話では口が塞がらないとのことである。大騒ぎして顎でもはずしたのかと往診した。
 確かに口を開けたままで塞がらない。何が起こっているのかすぐには理解できない。こんなときには、じっと観察である。
 呼吸が止まるときがあるではないか。集まった家族と話をしながら、おばあちゃんを観察していた。だんだんと無呼吸が増えている。吸引器で痰を取ると、何ごともなかったように呼吸を続けている。昨年も、肺炎でこんなことがあった。そのときは、毎日往診して点滴で乗り切った。また、肺炎かなと思ったが発熱もない。それにしても、今度は無呼吸が多すぎる。パルスオキシメーターでも60%を示すときがある。先日、ベッドから落ちたと聞いていたので、それかと思ったが、そんなことを話して責められる人があっても困る。
 「呼吸の様子がおかしいです。助けたかったら入院して、管を入れて人工呼吸です。どうなさいますか」
 「このまま、ここに置いてやって下さい」
 家族の返答である。
 Uさんは、どう思っているのか分からないが、家族はこの数年の介護疲れで疲労は限界に達している。
 「何かあれば、またお電話を下さい」
 自宅で最期まで看ることを家族と話し合い、いったん引き上げた。
 それから半日して、家族に見守られながら静かに息を引き取られた。
 寝たきりは寝たきりを許す環境があってはじめて生まれる。介護者がいるから寝ていられるのであり、寝ていられない状況なら、無理に起きるか、餓死するかの選択となる。寝たきりになれる老人にとって、老人虐待と思えるようなリハビリを拒否し、老人に与えられる特権である寝たきりを謳歌することも一つの生き方と考えてしまうのは、極論であろうか。

筆者プロフィール
1977年3月
 京都大学医学部卒業
1983年3月
 京都大学大学院修了  京都大学医学博士
1983年4月
 京都大学文部教官
1991年4月 
 医療法人社団 飯田医院

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