私の趣味 少年が聞いた音楽 梶田 洋一郎(中京東部)  PDF

 大阪府南の田舎で昭和46年に生まれた少年の話をします。彼が子どもの頃、音楽を聞くメディアは主としてテレビ番組の「ザ・ベストテン」か、AMラジオの「ABCヤングリクエスト(通称ヤンリク)」でした。小学4年生の頃、寺尾聰が歌う「ルビーの指輪」がザ・ベストテンで12週連続1位という最長記録を樹立しました。この曲は大阪府の田舎に住んでいた少年のハートも鷲づかみにし、彼の足を初めてレコード屋さんに向けました。当時はテレビもラジオも売れている歌に順位を付けることが流行っており、またトップ10内に歌謡曲と演歌が混在していたため、布団に潜り込み片耳だけのイヤホンでヤンリクを聞いていた少年は、中森明菜の「1/2の神話」と森進一の「冬のリビエラ」を口ずさむようになりました。
 少年は中学から寮生活を送ることになりました。夜のテレビは投票で決めた番組を週に一度、1時間だけ視聴できるという取り決めでしたので、少年は次第にザ・ベストテンを見ることがなくなりました。中学寮は1、2、3年生が混在する8人の大部屋生活で、中学3年生は大きめのミニコンポを共有机に置いて大きな音で鳴らしても良いというルールがありました。そこでカッコいい音楽を聞いてるぜアピール合戦が始まる訳でして、少年はOzzy Osbourne、Van Halenなどハード目の洋楽を鳴らす一方、消灯後はこっそりダビングしてもらった斉藤由貴や少女隊をウォークマンで聞いていたそうです。
 彼が浪人した年に、大阪で新しいFMラジオ局が開局しました。そこでは従来のラジオでは考えられない量の音楽が流れ、少年はエアチェックに必死になります。BO GUMBOSのサイケに色めき立ち、アーシーなLenny Kravitzのファーストに「俺がほしかった音はこれこれ!」と友人に意味もなく主張し、片道1時間の予備校への通学中はB-52’sやさねよしいさ子の摩訶不思議な音楽に身を委ねておりました。
 時は流れ、47歳になった少年は今も片道20分の徒歩通勤の間に音楽を楽しんで聞いているそうです。ウォークマンではなくスマホのラジオアプリですが。

ページの先頭へ