私の宝物 憧れの銅鏡を手に 小泉 昭夫(中京西部)  PDF

 私は兵庫県尼崎市の出身です。周囲には、自然環境に乏しく、人工的な環境しかありませんでした。しかし、唯一例外的にこんもりした森のある小さな丘がありました。この丘は、5世紀初期の学術的価値の高い古墳として全国紙に小学生高学年の頃に報道されました。三角縁神獣鏡などが多数発見され、強い衝撃を受け、鏡に強い憧れを抱くことになりました。
 2017年のある時にぶらりと寺町の骨董屋に入ると、なぜか心がときめきましたが、その原因は写真の展示品でした。残念ながら鑑定書はなく、店主の説明では、骨董屋の先代店主が、1970年代に、北九州の古墳からの出土品(伝)として購入。「うちも、寺町で店を出して100年近く。店の信用にかけて嘘はない」とのこと。
 その後、購入。銘文について調べてみました。銘文は「内淸質以昭明 光煇象夫日月 心忽揚而願忠 然壅塞而不泄」(傍線は脱落し「而」で置き換わる。書き下し文として、内は清質にして、もって昭明なり。光煇は、それ日月ににたり。心は忽ち楊りて忠を願う。然れども壅塞して泄とおらず)と読めます。内容は、「私の清い忠誠心が、邪悪な側近により帝に伝わらない」という嘆きの言葉であり、「楚辞」を原典としているようです。脱字は、「而」に置き換わっておりますが、書体の篆書は、ほぼ北九州で発掘された昭明鏡に似ています。文献によれば、北九州でこの種の鏡が甕棺から多く発掘されており、同じ単語に脱字があります。特に、清質の「質」の欠字は、長安産の特徴だそうです。本物の昭明鏡だとすれば、中国での流通年は紀元前50年頃前漢時代にさかのぼることになります。北九州の邪馬台国(?)の卑弥呼から各地域の部族長への下賜品とし、忠誠を誓わせたのでしょうか? しかし、その文章は、肝心の「忠」が、「而」に置き換わっている点は皮肉なことです。そうだとすれば、恐らく卑弥呼は漢字は読めなかったのではないでしょうか。

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