富士山 関 浩(宇治久世) 第11回 富士山と文化・芸術  PDF

 「世界文化遺産」に選定された理由が「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」であり信仰についてはすでに述べたが、文化・芸術分野については古来より数多各種の作品がある。
 万葉集は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集であり、天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、大伴家持が編纂へんさんに関係し、成立は759年以後とみられる。
 「わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ(私の愛している人にすぐに会いに行きたいが、遠く離れ会うことができないので、駿河の国にある富士山のように、私はあつい想いを心の中で燃やし続けるだけである。ああ)」(読み人しらず 万葉集/奈良時代)。
 奈良時代万葉集での山部赤人「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける(田子の浦を通って視界が開けたところまで出てみると、富士山の高いところには真っ白い雪が降り積もっていることよ)」。
 飛鳥時代の柿本人麻呂「ちはやふる 神もおもひの あればこそ としへてふじの 山ももゆらめ(先祖代々の神の想いがこもっているからなのであろう。長い年月をへてきた富士山の火は、いまなおたえることなく、もえつづけていることよ)」(拾遺和歌集/平安時代に集成)ら、また平安時代から室町時代の間に物語や和歌に富士山が多く登場する。
 更級日記(富士の山はこの国なり…)、西行(風になびく富士のけぶりの空に消えてゆくへも知らぬわが思ひかな)、十六夜日記(ふじの山をみれば、けぶりもたたず)、吾妻鏡、曽我物語、海道記、信長記などにみられ、江戸時代以降は俳句、明治時代になると文学作品に登場する。
 松尾芭蕉(目にかかる時やことさら五月富士)、小林一茶(かたつぶりそろそろ登れ不二の山)、与謝蕪村(不二ひとつうづみ残して若葉かな)、若山牧水(なびき寄る雲のすがたのやはらかきけふ富士が嶺のゆふまぐれかな)、夏目漱石の「三四郎」では車窓から見た富士の様子を書いている。正岡子規(足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましお)、新田次郎「芙蓉の人」は気象観測を試みた野中夫妻のたたかいを描いた。
 太宰治「富嶽百景」(富士には、月見草がよく似合ふ)、深田久弥「日本百名山」(最も美しいもの、最も気高いもの、最も神聖なものの普遍的な典型として、いつも挙げられるのは不二の高根であった)など枚挙にいとまがない。
 優れた衣服、工芸品、絵画の題材にもなった。
 尾形光琳「富嶽図扇面」、司馬江漢「駿州薩陀山富士遠望図」、富岡鉄斎「富士山図」、横山大観「霊峰飛鶴」など。
 浮世絵の名作が名高い。葛飾北斎「冨嶽三十六景」、歌川(安藤)広重「東海道五十三次」、歌川国芳「東都冨士見三十六景」、広重と渓斎英泉「木曾街道六十九次」そのほかゴッホの「タンギー爺さん」では人物の背後に富士が描かれている。

出典:富士山 まるごと大百科 佐野充 学研2015教育出版社 2015

歌川広重:保永堂版「東海道五拾三次 由井 薩■嶺」 知足美術館蔵
葛飾北斎:「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」 すみだ北斎美術館蔵

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