私のすすめる ナガラ脳トレ歌詠み初め 宇田 憲司(宇治久世)  PDF

四苦八苦しながら詠歌にいそしむ

 「六十の手習い」とは、60歳になって初めて何かをすることではなく、若い頃すでにいろいろしていて中断したことを定年・年金生活などで時間ができて再開することとされる。
 最近、忘れっぽくなり、新しいことがなかなか覚えられず、このままでは自分の頭も老化が進行してしまうと、ふと不安になる。ラジオ体操をすると「体が硬くなった」と気付くが、しかし全く中止してしまうことはせず、その程度の筋トレであれ続けることとなる。頭が硬くなっても、まだまだ脳トレを続けねばと、頼まれ原稿や講演は断らぬことにしている。できれば年に1回くらい学会発表や論文執筆もやりたいものと気を引き締めてテーマを探る。しかし、それらの原稿は長文で、かと言って、俳句・川柳よりも短い5・7、7・7、7・5字でのキャッチコピーの付題などより、もう少し豊かな内容を盛り込むには、中学・高校時代の国語授業で試みた和歌作りの、5・7・5・7・7や5・7・5・7・5がよかろうとなる。
 ところで、前稿「私の勧めるナガラ近隣寺院観光」では、宇治平等院近辺の寺院、特に道元禅師の初開道場、曹洞宗は興聖寺のことについて紹介した。堂内拝観には、営繕志納として300円、いわゆる御朱印が所望であれば奉納料300円で、寄進袋に名前を書きベルを鳴らすと、僧堂の奥から和尚が応対に出てきて書写・奉納となる(図左)。そこで、盆と師走くらいは喜捨をはずんで、「盆の鐘 棚経師走る 励ましと響くは 四苦吐く 某ぼん坊ぼんぼ凡盆」など記入して字余りながら、4989円喜捨したところ、道元禅師坐像マイクロフィルム付き覗拝手首数珠を貰ったこともある。
 寺庭では、頑張って暗記した十三仏真言を唱える。池傍の廊下や本堂前廊下では坐って深呼吸計108回、知祠堂では、妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈や大悲心陀羅尼、開山堂では般若心経、修証義を唱えるが、上記の経文で暗記しているのは般若心経266文字くらいである。堂内一回りには2時間ほどかかるが、よき時を過せば、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる」と気分もよくなって電動自転車で帰宅する。
 道元禅師の書籍からも何か暗記しようと『正法眼蔵』などを開き見たが、「洗面」「洗浄」を除き歯が立たない。そこで、川端康成がノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」で引用した禅師の歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり」(図右)を暗記して創作へとは、「ほととぎす いずくにありや姿なく 初音観せまし利を導きて」と真似して詠歌した。山名「仏徳山観音導利院興聖宝林禅寺」からのいわゆる本歌取りではあるが、まあよしとしていただきたい。禅師の漢詩では、当時まだ伏見にあった興聖寺を越前から懐かしむ「生死憐れむ可し休してまた起こる、迷途覚路夢中に行く、然りと雖えども尚忘れ難き事あり、深草の閑居夜風の声」が有名であるが、漢詩までは手が出ない。

図:興聖寺版納経帳

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