被害者への医療と生活への支援の輪を  PDF

 最後に、チチハル毒ガス被曝事件の被害者である牛海英氏が登壇。被曝数時間後に顔が赤く腫れあがり医院に駆け込んだが、医院では対応できず病院へ搬送。その際に日本軍の遺棄毒ガスに被曝したのではないかと医師から言われたと述べた。症状は日を追うごとに悪化。発疹が水疱になった際には、その水疱を潰して薬を塗りこまれたが、激痛で耐えられなかったと話した。また、病院入院後、続々と被害者が運び込まれ、その病棟全てが毒ガス被害者でいっぱいになり、この治療が行われていた時はそこかしこの病室から苦痛の叫び声が響いていたと述懐した。
 毒ガスが入ったドラム缶を解体した、同じ会社の作業員が亡くなったことで、自身も死ぬのではないかと大変な恐怖だったことや、退院後は後遺障害に悩まされていて日々の生活も大変だと報告し、「一時は日本を大変恨んだ」と述べた。「しかし、日本へ来てみるといろいろな人から優しく手を差しのベてもらえた」「日本そのものを恨む気持ちは薄れたが、日本政府による後遺障害への医療支援・生活支援はぜひとも行ってほしい。今後も訴え続けていきたい」と締めくくった。

ページの先頭へ